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    <title>えふえむ・エヌ・ワン</title>
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    <title>黒紫色の花と菊理姫</title>
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        <![CDATA[<p>　先日のツイッターに黒紫色のツバキが見つかったというツブヤキが流れていた。自然界での黒紫色は非常に珍しいそうです。見つかったのは島根県にある出雲大社の海岸近くにあるヤブツバキの自生林の中でした。</p><p>　発見したのは郷土史家で、「黄泉（よみ）の穴」の調査の帰り道だったことから、この黒紫色のツバキは「黄泉の黒」と名付けられ、２月２４日に山口県萩市で開催される全国椿サミットに出品されるという。</p><p>　「黄泉の穴」というのは古事記に出てくる話の一場面である。</p><p>　日本の国産み神話にでてくるイザナギ神とイザナミ神の物語である。亡くなって黄泉の国へ行ったイザナミ神を連れ戻そうと、イザナギ神が黄泉へ行くとイザナミ神が変わり果てた姿になっていたので、一人でこの世に戻ろうとして、黄泉の国との連絡口となっている黄泉比良坂（よもつひらさか）に向かった。この黄泉比良坂が「黄泉の穴」である。</p><p>　黄泉比良坂で、後を追いかけてきたイザナミ神はイザナギ神に追いつき、言い争いになったが、その時に現れた 菊理姫（菊理媛＝くくりひめ）が イザナミ神に何かを言うとイザナミ神はそのまま黄泉へ戻ってしまった、という。</p><p>　この黄泉比良坂に比定されている地点の一つが出雲大社近くの海岸にあり、郷土史家が調査に行き、「黄泉の黒」を発見することになったのである。</p><p>　「黄泉の黒」と命名された黒紫のツバキの話題は、その後、ＦＭＮ１の多くの番組の中で取り上げられた。</p><p>　スタッフが「黄泉の黒」と野々市市の間に、何か目に見えない太い絆を感じ取ったからだろう。</p><p>　一つは全国椿サミットである。同サミットには野々市市からも粟貴章市長らが参加し、「野々市つばき」が出品されるからである。地名が冠された「野々市つばき」は、黒紫色とは正反対の色である。白を基調とした花弁にほんのりと鴇色（ときいろ＝薄いピンク）が透かしたように載っているのである。</p><p>　もう一つは 黒紫色の花である。白山にはやはり黒紫色の高山植物ハクサンクロユリがある。</p><p>　最後に菊理姫である。この神は、古事記や日本書紀の中には出てこないが、イザナギ、イザナミの両神の間を取り持った、とされている。また、イザナミ神に何か言ったことになっているが何を言ったかは明らかにされていない。また、神話の中でも黄泉比良坂の場面でしか出てこないため、謎めいた神、とされている。</p><p>　仲を取り持ったことから「縁結びの神」とか「シャーマンの神」とか言われていますが、もう一つ、「くくり」という読みから、「水をくぐる」、つまり「祓いの神」ともされている。</p><p>　この 菊理姫が実は、地元の白山比咩神社の祭神なのである。つまり霊峰白山の神なのである。</p><p>　私は、 菊理姫というのは「くくり」という読みから、水そのものの化身、「水の神」として地元の崇敬を集めたのではないかと思っている。</p><p>　それは、白山から流れ出した手取川が日本でも代表的な手取川扇状地を形成し、古代において、鉄製農具や灌漑技術と言う当時の最先端技術で開墾を行い、後に百万石といわれる加賀藩における穀倉地帯の中心的役割をになうことになるのである。</p><p>　古代の最初の開墾拠点が野々市市にある末松廃寺である。</p><p>　末松廃寺の教えを請うた国立歴史民俗博物館の吉岡康暢名誉教授は、乾田農法を支える灌漑の取り入れ口に、水を守る「水の神」を祀ったのが同廃寺ではなかったのか、と示唆されていた。</p><p>　以後、開墾地の拡大によって、取水口は次第に上流に上がっていき、現在の七ケ用水の取り入れ口になっている白山市白山町の安久涛ケ淵（あくどがふち）に到ったのではないかと類推できる。安久涛ケ淵付近には、 菊理姫を祀る白山比咩神社の古宮があったとされている。</p><p>　石川郡育ちの身には、古里の歴史を知るにつれ、 菊理姫は水の神と思えてならないのである。</p><p>　今晩は、全国椿サミットでの「黄泉の黒」と「野々市つばき」の出逢いを夢想しながら雪を愛で、白山菊酒の一つ「高砂」の杯を傾けるとするか。ちなみに、高砂は七ケ用水の一つである中村用水西川のほとりに蔵がある。</p>]]>
        
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    <title>２０年ぶりの寒波の中で験担ぎ</title>
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    <published>2012-02-03T07:58:08Z</published>
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        <![CDATA[<p>　今週は２０年ぶりの寒波襲来とかで、日中も氷点下の日が続いた。そんな中、最近は、生放送のスタジオの中の様子を知るために、Ustream放送で番組をチェックすることが多くなった。</p><p>　木曜日の「今出しづのうらら麗らか」の中で、車が凍った道路でスピンして、道の脇の田んぼに落ちた、という話題になった。けがが無くてよかった、という展開になったが、やおら入試の話題に移った。</p><p>　今みたいな入試の時期に、放送で大きな声で「滑った」という言葉を使ってもいいのだろうか？　両親や家族の心境を考えると、控えたほうがよかったのではないかという。</p><p>　Ustream放送では、サイマル放送と違って、著作権の問題があって楽曲を流せない。サイマル放送では音楽が流れている時、Ustream放送では番組進行の打ち合わせなどの確認、変更などの会話が流れることになる。</p><p>　スタジオの生感覚はUstreamで、音楽を聴くときはサイマルでとアプリを切り替えて楽しむことができる。新しいラジオの楽しみ方になるのではないかと思っている。</p><p>　話は戻るが、やはり「滑った」はアウトで、控えた方がよかった、という結論だった。続けて、「今日の献立はかき揚げにしよう」ならセーフだ、と汚名返上の会話が続いた。</p><p>　そして、番組が終了に近づいた時、Ustream放送のサイトにあるツイッターのタイムラインに「滑り込みセーフという言葉はアウトになるのか」とツイートが上がった。なかなか判断がつきにくいところだが、番組が終了して、紹介することができなかった。</p><p>　滑り込みセーフのツイートは、番組アウトになってしまったのだ。残念。</p><p>　しかし、入試に関する験担ぎは、情報としてはよく耳にするのだが、本当の事なのだろうか。昔は、自分のことでいえば無かったような気がする。それとも、両親は黙って験担ぎをしていたのだろうか。まあどちらにしても、受験生活を支えてくれたのには違いなく、感謝である。</p><p>　ＦＭＮ１としては験担ぎより、受験生たちの健闘を心から祈ることにしよう。そう言えば、明日（４日）は立春。寒波も一服するようで五感を澄まし、しばし春の訪れを感じ取ろう。</p>]]>
        
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    <title>レコード・ジャングルの中では演歌を食さず</title>
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    <published>2012-01-27T05:12:56Z</published>
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        <![CDATA[<p>　今、なぜか、ＦＭＮ１の中ではプチ・インディーズ・ブームである。新人のノゾム君の影響かもしれないがケイスケ君もインディーズに覚醒した感がある。</p><p>　そうこうしているうち、２７日付けの地方紙ＨＣ新聞に「演歌は日本の心～いつから？」という記事が掲載された。大阪大大学院の文学研究科音楽研究室准教授である輪島祐介さん（金沢出身）が著した「創られた『日本の心』神話　『演歌』をめぐる戦後大衆音楽史」がサントリー学芸賞を受賞した、というものである。</p><p>　記事で見る限り、輪島さんの主張は大筋で賛意を示せる内容のようである。演歌をかけないＦＭＮ１としての主張に似ているからである。スタッフのマサノリ君は「今さら何を」といった表情である。</p><p>　マサノリ君によると、日本の歌の原点は大正時代にあるという。大正デモクラシーの雰囲気の中で、政治的な演説から派生した演説歌がその一つで、演歌師の添田唖蝉坊（そえだ・あぜんぼう）が代表的人物である。マサノリ君は年末の特番で、昨年が大正１００年に当たったことから「大正ロマンとはやり歌」という特番を放送した。また、ヨーロッパの影響を受けた旋律からは、同時代に生まれた童話・童謡の流れがあり、後の唱歌につながっていく。</p><p>　もう一つの大きな要素がジャズである。代表的な作曲家として服部良一などが挙げられるのではないだろうか。</p><p>　つまり、日本の歌の中には演歌的な要素が見当たらないのである。演歌が生まれたのは１９７０年とされている。フォーク・ニューミュージックの勢いに押されたレコード会社が、これまでのレコードのラベルに印刷されていた「流行歌」を「演歌」に変えたのだという。</p><p>　もちろん、演歌の中にも名曲と言われる楽曲がある。しかし、「演歌は日本人の心の歌」という間違ったメッセージに馴染めなかったことなどから、原則として演歌は流さない事にしている。スタッフの側に言わせると、なかなか線引きが難しい、という問題があるのは承知のうえで、演歌は食さないのである。</p><p>　新聞記事に戻ると、著者の輪島さんは、中学、高校生であった金沢時代に輸入・中古レコード専門店「レコード・ジャングル」に通い詰めて音楽に深入りすることになったという。実は、このレコード・ジャングル店主の中村政利さんは週イチ、ＦＭＮ1で「ジャンおぢ」というブルース番組のパーソナリティをしている。昨日も放送したばかりである。</p><p>　何か不思議な縁である。</p>]]>
        
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    <title>YouTubeで思い出した母と子の絆</title>
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    <published>2012-01-24T07:02:05Z</published>
    <updated>2012-01-24T07:57:47Z</updated>

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        <![CDATA[<p>　きのう（２３日）、スマホでツイッターを見ていたら「時事コム」のつぶやきで、YouTubeの再生回数が１日４０億回に達した、というのが流れていた。昨年５月比で２５％の増加になっているらしい。</p><p>　動画再生が多いのだろうが、私はほとんどが楽曲の検索である。時事コムのせいでもないが、久しぶりにタブレット端末でYouTubeを開いてみた。次から次に渡り歩いていたところ、ある楽曲に目が止まった。４０年ぶりぐらいに再会した１曲で、当時はラジオで聴いていただけであるが、旋律も歌詞も思いだした。</p><p>　真芽正恵の♪「サニー坊や」という曲で、なぜか当時は、心惹かれていたのだった。数十年ぶりに再会した楽曲で、自然と歌いだせたのは２，３年前のハプニングス・フォーの♪「透明人間」以来のことである。感激そのものである。</p><p>　「サニー坊や」は、村で母と二人暮らしの坊やが、病気になった母のために町へ薬を買いに行く内容である。走って走ってお家へ帰る坊や。オレンジ色の太陽は西の空で沈みかけている。全身が茜色に染まった坊やは、宵闇の到来と競うように走り続ける。あたかも命の炎が燃え尽きる刻限が迫っているように&hellip;　そして叫ぶのである。「僕がお家に帰るまで待っていてね」と。</p><p>　４０年前の当時も、母と子の絆、二人なら生きていけるが一人になれば生きてはいけない切なさに惹かれたのだったが、今聴くと、情景を天然色で思い浮かべることができる。少しは人間として成長したのかもしれない。</p><p>　改めて、YouTube１日４０億回再生という凄さを実感したが、金沢工業大学のポピュラー・ミュージック・コレクション（PMC)で検索すると、同曲が納められたアルバム「真芽正恵と小さな詩」が１枚だけ所蔵されていた。まさか、という感じだったが一方で、PMCの公式所蔵数２０万枚という数字の凄みも再認識した。</p><p>　「サニー坊や」を聴きながら、もう一曲別の楽曲も思い出していた。みなみらんぼうが作詞作曲した♪「山口さんちのツトム君」である。</p><p>　これは幼児向けの歌である、と単純に思っていたのだが、スタッフの谷川昌則に教えられた。ツトム君が元気がないのは、お母さんがお出かけをしていて寂しかったからで、いくら遊ぼうと誘っても、いつもと違う。お母さんが帰ってきて元気になった、というホノボノとした情景が描かれている。が、歌の底には、みなみらんぼうが、小さいころ母親を亡くした寂しさが漂っているのだと&hellip;</p><p>　アナログ人間の私にとって、デジタル機器からの思わぬプレゼントを受け取ったようで、こちらの方も少し成長したのかもしれない。</p><p>　みなみらんぼうは御贔屓の歌手であるが、残念ながら本人歌唱の「山口さんちのツトム君」は見当たらなかった。一度は聴いてみたいのです。でも一度に多くのプレゼントは受け取る贅沢は許されないのでしょう。次の機会がくることを信じて、楽しみにしています。</p>]]>
        
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    <title>カナダ生活４２年目の郷愁に応える</title>
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    <published>2012-01-17T07:23:57Z</published>
    <updated>2012-01-17T08:23:53Z</updated>

    <summary>　最近、パソコンのある機能にはまっている。ＦＭＮ１のホームページを管理するソフトなのだが、リアルタイムで、ホームページ閲覧者の人数や、どのページを見ているのか把握できるものである。　昨日（１６日）の午...</summary>
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        <![CDATA[<p>　最近、パソコンのある機能にはまっている。ＦＭＮ１のホームページを管理するソフトなのだが、リアルタイムで、ホームページ閲覧者の人数や、どのページを見ているのか把握できるものである。</p><p>　昨日（１６日）の午前中、画面を見ていると、世界地図のアメリカ大陸五大湖周辺で緑色の円が点滅した。誰かがホームページにアクセスしてきた合図である。これまで余り見かけない地点であった。カーソルを合わせると「newmarket」と表示された。</p><p>　そうこうするうちに、カナダ・オンタリオ州ニューマーケットから１通のメールが届いた。ひょっとして今、ホームページを見ていた人ではないだろうか？　手元に来た文面を読んで、想像は確信に近くなった。</p><p>　差出人は、愛知県刈谷市出身の６６歳男性で、２４歳でカナダに移住。４２年間が経過し、年金生活に入っているとの自己紹介であった。数年前から、翻訳の仕事をしながら、ウェブ・ラジオを検索するのが日課になっているようであった。著作権の関係か、あまり音楽が流れないのが残念なようでした。</p><p>　ところが先週になって、ＦＭＮ１を見つけたそうなのです。評して「再放送を含めて２４時間、各種の音楽を、面白いゲストと共に多彩な顔触れで、画像も同時に流れてくる。最高のウェブ・ラジオです」。</p><p>　メールを読み終わって嬉しくなった。各種の音楽が余程気に入られたのかもしれない。ＦＭＮ１では演歌は流しませんが洋楽、邦楽問わず、ＳＰ盤の時代からオールディーズ、７０、８０年代から昨今のインディーズまで幅広くオン・エアしているのが的を射たようでした。</p><p>　何か、開局から１６年、サイマル放送を開始して３年。進んできた道程が間違いでなかった、と言われているように感じたからです。</p><p>　刈谷市と野々市市では相当に距離が離れているのですが、カナダからみればすぐ近くなのでしょう。４２年間の海外生活がどのようなものかは、私が推し量れるものではありません。が、古里への郷愁があるとすれば、すこしでもそれに応えられたとすれば、コミュニティ放送の役割を果たせたのかもしれません。</p><p>　そしてリクエストも寄せられました。ビートルズの♪「レット・イット・ビー」です。日本を離れる時、国内で最後に聴いた曲、ということでした。今日の午前９時からの番組「谷口悦子の暮らし上手に」の中でメールの紹介とリクエスト曲を放送しました。すると、「放送を聴きながら（返事の）メールを書いております」と知らせが入りました。</p><p>　このやりとりの中で、ＦＭＮ１が何か大層立派な放送局になったような気がして肩に力が入っていましたが、最後に、「自分の名前・野々山と野々市市が似ていることが検索の目を引いた」のだそうです。この一言で肩の力が抜け、平常心に戻ってホッとしました。</p><p>　それから、素晴らしい放送をずっと長く続けてほしい、と結ばれていました。やっと掌中にできたお気に入りのサイマル放送を手放したくない、という希望に沿えるようスタッフ一同、放送に掛ける想いを新たにしました。</p>]]>
        
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    <title>よしだたくろう♪「雪」２分５３秒</title>
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    <published>2012-01-14T22:02:00Z</published>
    <updated>2012-01-13T06:57:43Z</updated>

    <summary>　今冬一番の寒さとなった１２日（木）、足元のストーブを「強」にして、机の前で震えていた。午後２時前ごろだったか、よしだたくろうの「雪」というアナウンスとともに、放送から音楽が流れてきた。　しかし、耳慣...</summary>
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        <![CDATA[<p>　今冬一番の寒さとなった１２日（木）、足元のストーブを「強」にして、机の前で震えていた。午後２時前ごろだったか、よしだたくろうの「雪」というアナウンスとともに、放送から音楽が流れてきた。</p><p>　しかし、耳慣れたよしだたくろうの声とも、歌い方とも違うような気がした。番組のチェックはインターネット・テレビを通してサイマル放送を聴いているのだが、受信機のせいだとも思えない。放送中のスタジオに問い合わせた。居合わせた３人のスタッフも同様の意見だった。</p><p>　すぐさまキューシートを確認、楽曲データ・ベースにもアクセスしてＣＤ番号を確認しても異常はなかった。正真正銘のよしだたくろうだった。「雪」はフォーク・グループの猫にも楽曲提供されているが、もちろん猫のものではなかった。</p><p>　ＣＤルームの棚からデータ・ベースに入力したＣＤを見て納得した。それは１９７０年に発売された最初のアルバム「青春の詩」だった。広島から上京してきたエレック・レコード時代のものである。これまで記憶に残っていたのはライブ・バージョンの曲で、オリジナルについては聴いていなかった、あるいは聞き流していただけなのかもしれない。</p><p>　よしだたくろうの歯切れ良さはなく、物憂げに語尾を伸ばした歌い方だった。なにかシャンソン風のところが、アダモの♪「雪が降る」のイメージと重なってしまった。デビュー当時の歌い方が違うことが、あらためて４０年以上も続く現役生活の長さ、実績を思い知らされたようだった。</p><p>　そういえば、先日のツイッターで、これも御贔屓の早川義夫さんが、ファンの「昔のアルバムの曲、今のライブで聴く。いまの早川さんの歌う方が、同じ曲なのにずっといい」というつぶやきに対して、「僕もそう思う。自惚れではなく、みんな、今を生きているからです」というリツイートを思い出した。</p><p>　現役を永く続けて、その時々の表現で歌ってくれるのはファンにとって最高の贅沢といえます。</p><p>　生放送中のスタジオ前のドタバタ劇が続くうち、２分５３秒の♪「雪」はとっくに終わっていた。体の震えも止まっていた。スタジオでは、生活いち番シャトル便「生活の匠」で、ハウジングスタッフの東原守社長が出演されていたのだが、外の騒ぎがスタジオの中に影響を与えなかったか、反省の一幕であった。</p><p>　</p>]]>
        
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    <title>「午後11時」の心地よい論議</title>
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    <published>2012-01-12T05:01:05Z</published>
    <updated>2012-01-12T06:08:27Z</updated>

    <summary>　きょう（１２日）、ペンネーム「野々市市内のうるさい老人」さんから１通のメールをいただいた。番組「黄金の喉は歌い継ぐ～ＦＭＮ１ゴールデン・スロート」に対してのものだった。放送時間は月～金の午後３時から...</summary>
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        <![CDATA[<p>　きょう（１２日）、ペンネーム「野々市市内のうるさい老人」さんから１通のメールをいただいた。番組「黄金の喉は歌い継ぐ～ＦＭＮ１ゴールデン・スロート」に対してのものだった。放送時間は月～金の午後３時から１時間で、午後１１時から再放送をしている。</p><p>　パーソナリティーの桑原和江が冒頭に、「今日はどのような１日をお過ごしですか」と語りかけているのですが、メールの方は午後１１時の再放送分をお聴きになっているらしく、「お過ごしですか」が耳に障るらしいのです。やはり「お過ごしでしたか」が日本語として相応しいのではないか、というご指摘でした。</p><p>　メールの書き出しでも番組名を「Ｇｏｌｄｅｎ　Ｓｈｒｏａｔ」とされていたので、英語に慣れ親しんだ方だと推察しましたが、後半に、語学学校に通っていた趣旨の話があり、「（当時の先生から）言葉の言い回しで、議論するな。いろんな環境があるのだから」と教わっていたそうですが、午後１１時は１日の終わりに近いのであり、古来のカレンダー的には馴染めないらしい。</p><p>　もちろん、私も、違和感があるのは承知の上で放送していたので「やっぱり無理があるのかな」と思い直しています。</p><p>　一応、ＦＭＮ１の番組表の上では、１日の始まりは午前５時で、終了が２９時（翌朝５時）という、普通の生活の感覚とは違う２９時間制を採用している。午後１１時というのは、１日の終わりまで、まだ６時間がある、ということになる。しかし、１日の終わりには近くない、というのは強弁というか屁理屈であるには違いない。</p><p>　私自身も昔、夕方の５時、６時出勤をしていたことがあります。香林坊でバスを降りると、帰宅する人たちと遭遇します。人の波の進行方向とは逆に歩くのが１日の始まりでした。だからといって、そんな勤務状況が普通のはずはありません。そういった会社に就職していただけのことです。</p><p>　コミュニティ放送局とは所帯が小さくても、ラジオ局はマス・メディアの一角を占めています。放送時間は基本的に２９時間制で、当たり前のことなのです。夕方に局入りしても「お早うございます」というのが当たり前みたいなところです。</p><p>　が、今回のメールは、ＦＭＮ１に再就職した時の初心を思い出させてくれました。メディアの常識は世間の非常識。ＦＭＮ1は常識的な放送局になりたい、ということです。今では、夕方にはやはり「こんにちは」、「ご苦労様」とあいさつをするようになりました。</p><p>　問題はゴールデン・スロートの「お過ごしですか」です。たった７人のスタッフで毎日２４時間放送をしているわけですから、すこしでも作業量を減らしたいというのが本音です。技術的には本放送と再放送分を別々に制作すればよいのですが、口で言ったり、耳で聴いているだけでは分からない程、作業量は増えることになります。制作上の制約が多い番組の一つなのです。</p><p>　今後は、スタッフと相談したうえで結論を出すことになります。</p><p>　「野々市市のうるさい老人」さんのメールは一服の清涼剤の効果がありました。ともすれば、日常性の中に埋没していく身ですが、ピリっと引き締まりました。リスナーからの耳に痛いお便りは放送局の財産になります。ところで、私も老人の仲間入りをしていますが、この口うるささはスタッフにとって薬になっているのでしょうか&hellip;</p>]]>
        
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    <title>白門、赤門、黒門と侠気</title>
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    <published>2012-01-10T06:15:55Z</published>
    <updated>2012-01-11T03:41:32Z</updated>

    <summary>　先日の番組「キャンパス・アメニティ」に金沢工業大学の石川憲一学長が出演されていました。以前、石川学長がFM-N1の番組審議会の委員をされていたころ、少しお話を聴く機会があり、日本刀を愛するお心がある...</summary>
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        <![CDATA[<p>　先日の番組「キャンパス・アメニティ」に金沢工業大学の石川憲一学長が出演されていました。以前、石川学長がFM-N1の番組審議会の委員をされていたころ、少しお話を聴く機会があり、日本刀を愛するお心があることから「古武士のような風格」と形容差し上げたことなど、懐かしく思い出していました。</p><p>　趣味のことや静岡県の出身であることは承知していましたが、迂闊にも、母校が金沢大学とは知りませんでした。トークの合間に、金沢大の前身である旧第四高等学校の寮歌「北の都」も流れました。また、各種競技で対抗試合を行っていた三高（現京都大学）の寮歌「人を恋うる歌」も放送されました。</p><p>　金沢大学といえば、学長の名前と同様の石川門が有名です。鉛瓦を載せた白壁の姿から白門（しろもん）とも呼ばれていました。</p><p>　白門と言えば、中央大学の代名詞にもなっていますが、こちらは「はくもん」と呼ぶのだそうです。法学部が有名であり、「真実」「潔白」など法律の持つイメージが由縁だそうです。</p><p>　「しろもん」は、金沢城を居城としていた百万石大名の前田家が江戸での上屋敷にしていた朱塗りの門が、現在の東京大学本郷キャンパスに「赤門」として残ることから、それと対比して名付けられたのでしょうか？　加賀藩つながりなのですが、金沢と東京の両大学の力量は比較されるに相応しいかどうか、私には判断がつきません。</p><p>　そういえば、年末の野々市市誕生記念特番「大乗寺を歩く」の中で、パーソナリティーを務めた坂東茂君が、大乗寺の山門について、黒塗りであることから「こくもん」と自信満々にリポートしていました。試聴の段階で気になったので尋ねました。本人は黒門を普通に読めば「こくもん」だ、と言うのです。倍近く生きている私の感覚では、普通なら「くろもん」です。年代によっては普通の感覚でも違いがあることに、少なからず驚かされました。</p><p>　後日、「くろもん」が正しいと知らされ、番組は録り直しをしましたが、固有名詞の怖さを再認識しました。事前に一声掛けてよかった、と胸を撫で下ろしました。</p><p>　話は「キャンパス・アメニティ」に戻りますが、三高寮歌「人を恋うる歌」のことです。作詞は与謝野鉄幹であり、CDの歌唱は故人ですが、今も高名な俳優兼歌手の方でした。</p><p>　歌詞の二番目に「妻をめとらば才たけて　みめ美わしく情ある　友を選ばば書を読みて　六分の侠気四分の熱」とありますが、問題は「六分」の読み方です。私は「りくぶ」と覚えていましたが、歌の中では「ろくぶ」と歌っているのです。</p><p>　時代によって読み方が変わることもあるのかも知れませんが、違和感を覚えました。ディレクターの方は、相手が高名な歌手であることから、確認を躊躇したのでしょうか？　それとも堂々とした歌唱ぶりから「ろくぶ」が正しく、「りくぶ」の方が間違いだと錯覚したのでしょうか？　「りくぶ」が正しいとするなら、確認のために、もう後少しばかりの侠気を発揮する場面だったような気がします。</p><p>　</p><p>　</p>]]>
        
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    <title>匂うものにコウキシン?!</title>
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    <published>2012-01-06T06:16:06Z</published>
    <updated>2012-01-07T00:27:04Z</updated>

    <summary>　開局16周年特番「近つ野の市、遠つ野の市～東日本大震災の年に野々市市は生まれた」の放送を終え、年末年始を挟んで、一服感に浸っている。　番組の中では野々市の「市の力」と、遠く離れた被災地、特に岩手県遠...</summary>
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        <![CDATA[<p>　開局16周年特番「近つ野の市、遠つ野の市～東日本大震災の年に野々市市は生まれた」の放送を終え、年末年始を挟んで、一服感に浸っている。</p><p>　番組の中では野々市の「市の力」と、遠く離れた被災地、特に岩手県遠野市、平泉町の「市の力」を紹介した。また、もう一つの近いと遠い意味として、市制施行後の野々市市の「市の力」と、遠く時を隔てた中世、古代の「市の力」まで遡り、地域発展の原点を振り返ってみた。</p><p>　また、番組制作を通して一つの言葉に好奇心を覚えた。それは「匂う」である。</p><p>　番組の中では、締めのリポートを、スタッフの中村圭佑君が岩手県陸前高田市の奇跡の一本松前から行った。その中で、江戸時代の国学者本居宣長の和歌「敷島の大和心をひと問わば朝日に匂う山桜花」に言及したことに始まります。</p><p>　これまでは、「匂う」というのは単に光、光景、姿形であると思っていました。勿論、「匂う＝臭う」のニオイでないことは知っていました。もう一つ有名な和歌に「青丹よし奈良の都は咲く花の匂うがごとくいま盛りなり」があり、これも花が全盛期に美しく咲くように奈良の都も絶頂期にある、と詠ったものである。</p><p>　従って、「朝日に匂う山桜花」も日本人の在り様を、日本人が好む朝の清明な空気の中で咲く山桜の姿に比したもの、と解釈していた。ただ、まだ釈然としない気持ちもどこかに残っていた。</p><p>　奇跡の一本松の前でのリポートは7月に出掛けたものだが、5ヶ月後の12月になってようやく腑に落ちた。染色家の吉岡幸雄さんが「匂う」について解説している一文を目にしたからである。少し引用させていただけば「色が映え、美しく、好ましく優れていることを意味し、華やかさ、香り、光までを含んで気高いこと」なのだそうだ。この「気高い」の一言で、「高貴心」いや「好奇心」が満足させられた。</p><p>　しかし、もうリポートは取り返しがつかない。消化不良のままの放送になってしまい、悔いが残る結果となった。</p><p>　そう言えば、リポートを担当したケイスケ君は以前、「色は匂えど　いとをカシ」という音楽番組をしていたが、消化不良を起こしていなかったのだろうか？　歌の歌詞に魅せられ、好奇心一杯で始めた番組だったが、次の改編期を待たずに打ち切りになったような気もするのだが&hellip;</p>]]>
        
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    <title>考古学者と染織家、二人の吉岡先生</title>
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    <published>2012-01-05T07:13:34Z</published>
    <updated>2012-01-05T08:35:35Z</updated>

    <summary>　年末年始の特別編成、開局記念の特番態勢も無事終了し、16周年目の滑り出しも順調に推移している。この間の番組制作を通して、いろいろな方にインタビューや取材でお世話になりました。　特に、国立歴史民俗博物...</summary>
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        <![CDATA[<p>　年末年始の特別編成、開局記念の特番態勢も無事終了し、16周年目の滑り出しも順調に推移している。この間の番組制作を通して、いろいろな方にインタビューや取材でお世話になりました。</p><p>　特に、国立歴史民俗博物館の名誉教授である吉岡康暢（よしおか・やすのぶ）＝金沢市＝さんと、奇しくも同姓の吉岡幸雄（よしおか・さちお）＝京都＝さんのお二人である。康暢さんは考古学者で、幸雄さんは染色家である。</p><p>　考古学者の吉岡さんとは、国史跡の末松廃寺＝野々市市末松＝の取材が縁となり、もう5年間ほどお世話になりっぱなしである。同廃寺が7世紀後半、当時の中央政権である天智朝の国家的事業として行われた手取川扇状地の開墾における中心的建造物である、という研究成果は、石川県中央部の発展の歴史を一挙に解明した、と言っても良いほどである。</p><p>　特に、末松廃寺の遺跡に隣接する上林・新庄遺跡からは製鉄工房の跡や当時の役所跡とみられる大型住居跡も発掘されており、鉄製農具や灌漑技術など当時の最先端技術を縦横に駆使した開発だったことは、地元に住む私たちの古里に対する認識を一新してくれた。</p><p>　更に、インタビューの中で、天智天皇と当時の加賀郡の大豪族であった道君の関係についても、朝鮮半島の国際的政治情勢を反映していることを指摘。蝦夷征討のための根拠地を確保するうえでも手取川扇状地の開発は重要であったことを話された。そうした中で明日香から、琵琶湖を臨む大津京への遷都の意味が分かるのではないかと示唆された。</p><p>　また、これまで私が、末松廃寺に関する雑文を書いていたのを読まれ「二、三点おかしい個所がある」とご注意も受けました。授業料も払っていないのに指導していただいているようで感謝の気持ちが溢れました。</p><p>　最後に、吉岡さんは「末松廃寺は朱仏寺と呼ばれていたが、当時の人は光り輝く仏像を見て朱色と感じたのだろうか&hellip;」とつぶやかれてスタジオを後にされたが、朱色のことが心の片隅に引っ掛かってしまった。</p><p>　もう一人の吉岡先生は染色家の幸雄さんである。直接面識はないのですが、明後日（1月8日）、金沢２１世紀美術館で、幸雄さんが伝統的な和の色の再現に取り組んだ仕事を記録したドキュメンタリー映画「紫～色に魅了された男の夢」上映されるのが縁になった。映画を撮影した川瀬美香監督から連絡を受けました。</p><p>　吉岡さんは、京都の染織工房で、植物の染料で布を染め上げ、平安時代の色合いを追及している。</p><p>　偶然にも、FMN1のスタッフが、吉岡さんが著した「日本の色辞典」を蔵していたため、年末年始特番のキーワードを「色」にして、番組制作に取り組んだ。</p><p>　番組で取り上げた色は幾種類もあったが、茜、山吹、鈍（にび）、韓紅（からくれない）が印象的であった。</p><p>　韓紅は、40年以上も前、私が大学受験の際、古文のヤマを張ったのが在原業平を主人公にした「伊勢物語」で、業平の百人一首が「千早ふる　神代もきかず　竜田川　韓紅に　水くくるとは」であったことから、「韓紅に水くくるとは」の番組名で2時間の特番とした。が、内容は「千早ふる」という落語をオチにした。</p><p>　また、鈍色とは野々市をはじめとした北陸の冬の空を覆う色で、灰色の雲の代名詞として使用した。何か暗い印象を与えるが、豊饒の源の色として表現したものである。</p><p>　北陸の歴史、伝統は鈍色の雲によって形成されたといってもよい。暖流である対馬海流が大陸からの寒気と触れ合って生まれた雲は、白山に雪を降らせ、豊富な水となる。水は山を駆け下って暴れ川となって手取川扇状地を形成した。その扇状地を鉄製農具、灌漑技術という最先端技術によって豊饒の土地としたのである。</p><p>　思わぬところで二人の吉岡先生の業績が合体したようで、ウキウキとした番組制作となったのである。</p><p>　そこでまた、ムラムラと悪戯心が起ってきた。染色家の吉岡先生の朱色と、末松廃寺の朱仏寺を合体させたら謎は解ける？　「作り話だ」と言って、考古学者の吉岡先生に叱られるのがオチかもしれないが&hellip;</p><p>&nbsp;</p>]]>
        
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    <title>人生最後のお年玉</title>
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    <published>2012-01-04T03:43:36Z</published>
    <updated>2012-01-04T04:35:23Z</updated>

    <summary>　　年末年始を、久しぶりにゆっくりと過ごした。昨年末に痛めた腰の状態が思わしくなく、動けなかったというのが本当のところでした。辰年も目出度く明け、やや改善の兆しが現れたので、天気の崩れないうちにことし...</summary>
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        <![CDATA[<p>　　年末年始を、久しぶりにゆっくりと過ごした。昨年末に痛めた腰の状態が思わしくなく、動けなかったというのが本当のところでした。辰年も目出度く明け、やや改善の兆しが現れたので、天気の崩れないうちにことしは一日から、実家の方に年始に出かけた。</p><p>　子供や孫たちは翌日に来るというので、米寿を迎えた母と兄夫婦と5人で、落ち着いて話が出来た。もうすぐ全員が年金受給に手が届く年齢となり、そうそう華々しい話題もあるはずがない。</p><p>　と、そんな時、腰の痛い母が立ち上がり、部屋の奥から祝儀袋を取り出してきて、私たち夫婦それぞれに手渡してくれた。表には「御年賀」と書かれている。何とお年玉を貰ったのである。40年ぶりのことである。躊躇していると兄夫婦も貰った、というのである。</p><p>　母は「これが最後のお年玉になる」。「もう隠し財産はないからね」とあくまでもにこやかだった。</p><p>　隣で女房が「泣くな！　泣いたら駄目」と励ましてくれるのだが、言葉が出てこない。随分と我慢していたが、とうとう涙が出てきてしまった。鳴き声は何とか抑えたが、手で拭いた。</p><p>　それから、子供のいない私のために、墓の心配や永代供養の奨めなど話してくれた。お年玉同様、これが最後の心配事と言わんばかりであった。</p><p>　還暦を過ぎた、というのに、自分がただ馬齢を重ねてきたようである。この後、どんなラジオの仕事をしていけばよいのか？　どんな番組を制作していけばよいのか？　いろいろな想いもあり、一応の目標もあるのだが、果たして成し遂げることができるのか。真剣に考えざるを得なくなったようである。</p><p>　家に帰って、見る初夢はどんな夢か。「永き世の遠の眠りのみな目覚め　波乗り船の音のよきかな」と目出度き回文を唱えつつ、枕を当てたが、初夢は覚えていられなかった。そして、最後のお年玉が、終わることのない回文のように、頭の中をくるくる回っている。</p><p>　この袋の口を、いつになったら開けられるのだろうか。</p>]]>
        
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    <title>開局１６周年特番で一気にジャンプ</title>
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    <published>2011-12-26T05:49:25Z</published>
    <updated>2011-12-26T07:31:01Z</updated>

    <summary>　あす１２月２７日はFM-N1の開局１６周年になる。永いようでもあり、短いようでもある。番組編成、改編を担当して１４年が過ぎた。これまでの番組、担当者や出演者の顔が次から次へと脳裏に浮かぶ。半年で中止...</summary>
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        <![CDATA[<p>　あす１２月２７日はFM-N1の開局１６周年になる。永いようでもあり、短いようでもある。番組編成、改編を担当して１４年が過ぎた。これまでの番組、担当者や出演者の顔が次から次へと脳裏に浮かぶ。半年で中止になった番組もあれば、長寿番組として続いている番組もある。</p><p>　そんな中で、この１年は濃密な時間が流れた日々であった、と言ってもいい。新年、粟貴章町長（現市長）から、人口５万人達成報告があり、野々市町の単独市制実現が確定しました。民間ベースの市制応援フリーペーパー「のっティ新聞」の発行という事業も大団円を迎えることができた。</p><p>　ところが、３月１１日、東日本大震災が発生した。ツイッターでM８．８（後にM９．０と修正）と知り、阪神淡路大震災（M７．２）を思い出した。当時の光景が忘れられないが、その数１００倍の力である。２０年ほど前、原発の取材を経験したこともあるが、その知識が少しでも役立つとは思ってもいなかった。</p><p>　スタッフの中から、震災現場へ支援に出かけたい、という熱い言葉を聴いた。４月中旬、東北へ向かった。「N1いぬわし隊」を結成、午前零時に車で出発し、一泊二日の日程で、帰着したのが深夜だったから丸二日の支援行だった。</p><p>　磐越自動車道から東北自動車道へ。盛岡から閉伊山地を抜けて宮古市へ。災害FM局を訪れた後、「万里の長城」とも言われた田老地区の大堤防を見た。堤防の向こう側に広がる穏やかな三陸の海と、根こそぎ破壊されつくした田老の町並みの対照はショックだった。山手には三陸鉄道の電車が走って行った。</p><p>　次は塩竃市へ。FM局が津波に流された「ベイ・ウェーブ」は市役所の４階、自衛隊の対策本部の狭い会議室で、住民のために臨時機材で放送を続けていた。</p><p>　支援物資を下した頃は、とっぷりと日が暮れていた。仙台市周辺や宮城県内には宿泊できる施設は残っていなかった。やむなく隣県の山形市で一泊した。翌日は、再び宮城県の石巻市へ。渋滞が発生しており、ラジオ石巻に支援物資を渡し、インタビューを終えた後は一路、野々市への帰路に就いた。</p><p>　還暦を過ぎて、２千キロを走るなど想像だにしていなかった。</p><p>　７月には再び岩手県へ、東北へ。陸前高田市の奇跡の一本松の前でリポートを行った。海岸べりでは警察官による行方不明者の捜索が続けられており、がれきは更に、うず高く積み上げられていた。遠野市の本田市長にインタビューし帰ってきた。今度は１６００キロで済んだ。</p><p>　１１月１１日には、野々市市がスタートした。</p><p>　また、この１年は、新しいスタッフ３人を迎えることが出来た、という幸運も重なった。橋本、坂東、中島の３人で、それぞれが得難い特性を持ち合わせている。N1の可能性が一気に高まった。１６周年記念番組の制作にも積極的に取り組んだ。</p><p>　２７日は午前９時から、特番「野々市色に染め上げる」を放送する。野々市市誕生も記念し、N1が新しい市を野々市ブランドに染め上げるお手伝いをしたい、という意気込みを伝える。</p><p>　同特番は、サイマル放送でもお送りしますが、UStream放送でも生中継します。</p><p>　また、正午からは、特番「近つ野の市、遠つ野の市～東日本大震災の年に野々市市は生まれた」を放送します。一生忘れられなくなるであろう１年をまとめました。</p><p>　一方、午前１１時からはUStream放送特番「素顔を見せて」をお送りします。FMN1の素顔、スタッフの素顔をお見せします。</p><p>　地域に密着したサイマル放送のコミュニティ放送局として、ジャンプ出来る手ごたえを感じられるラインナップが並んだFMN1の年末年始の番組を用意できた、と思っています。</p><p>　</p>]]>
        
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    <title>１０月１日から番組改編～新しい番組・コーナーが登場します</title>
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    <published>2011-09-23T23:00:04Z</published>
    <updated>2011-09-24T01:40:26Z</updated>

    <summary>　サイマル放送を始めてはや３年。石川県外に住むリスナーからツイッターやメールがたくさん届くようになりました。iPhoneとパソコンで毎日、ＦＭ－Ｎ１を聴いているという東京在住の方から暑中見舞いはがきを...</summary>
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        <![CDATA[<p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="2drive.JPG" width="271" height="181" src="http://fmn1.jp/images/2drive.JPG" /></span>　サイマル放送を始めてはや３年。石川県外に住むリスナーからツイッターやメールがたくさん届くようになりました。iPhoneとパソコンで毎日、ＦＭ－Ｎ１を聴いているという東京在住の方から暑中見舞いはがきをいただきました。「東日本大震災を境に僕自身のこと、仕事のこと、家族のことを考えるようになりました。地球が怒っているようですが、生きていれば楽しいことだってたくさんあるはずです。そんな中、ＦＭ－Ｎ１は私の暮らしの支えになっています」。</p><p>　今回の大震災をはじめ、災害があるたびにラジオの良さが再認識されます。災害のときはもちろんですが、平時でも頼りにされる、リスナーに喜びや哀しみが届くラジオでありたいと念じています。１０月１日から秋の番組改編です。新しい番組やコーナーが始まります。</p><p><strong>＜大家さんは見守りたい＞</strong>　１０月１日から土曜１２：００～１２：３０　</p><p>　ＫＩＴ新篁のアパートの大家さん９人が３人ずつ順番に出演します。金沢工大生とのふれ合い日記を自らの声で読み、語り合います。また、「新篁マイ・ディア・ソング」（月曜～金曜朝７時～８時）で新コーナー「マイ・ディア大家さん」が始まります。４５人の大家さんが工大生との交流日記を綴ります。好評だった「地域の教育力・おばちゃん日記」は９月いっぱいをもって終了しますが、より発展進化した形で新番組・新コーナーになります。</p><p><strong>＜白山に抱かれて＞</strong>　１０月３日から月曜１８：３０～１９：００（２４：００～再放送）</p><p>　白山市がこの９月、日本ジオパークに認定されました。白山と手取扇状地をテーマにして認定されたもので、同じ手取扇状地で歴史と文化を育まれた野々市町のＦＭ－Ｎ１から白山や手取川の魅力を音楽にのせてお届けします。出演は坂東茂。</p><p><strong>＜ドリバーとけいすけの二人三脚＞</strong>　１０月３日から月曜～金曜８：００～８：３０（２７：００～再放送）</p><p>　ＦＭ－Ｎ１のマスコット・ドリバーと中村圭佑があなたに贈るきょうの花と素敵な音楽。ドリバーは白山に棲む精悍なゴールデン・イーグル（イヌワシ）ですが、ＦＭ－Ｎ１のドリバーはのんびり屋さんです。スピーディ・けいすけとちょうど良いコンビかも（写真）。</p><p><strong>＜ピザと風と湖と＞</strong>　１０月４日から火曜１３：００～１３：３０（１８：３０～再放送）</p><p>　シカゴ・ブルースを中心におかけします。シカゴの風、ピザのにおい、ミシガン湖の雄大な自然を感じてください。出演は橋本伸行。</p><p><strong>＜ホームタウン野々市＞</strong>　１１月１１日スタート</p><p>　野々市町が１１月１１日に野々市市になります。これに合わせて、野々市町の行政広報番組「マイタウンののいち」が「ホームタウン野々市」としてタイトルを変え、内容もさらに充実して１１月１１日からスタートします。</p>]]>
        
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    <title>野々市中学の２年生が「未来系ラジオ」を体感中！</title>
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    <published>2011-07-07T02:12:02Z</published>
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        <![CDATA[<p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 0px 20px 20px; float: right" class="mt-image-right" alt="wakuwork nonoichi 027.jpg" width="320" height="240" src="http://fmn1.jp/images/wakuwork%20nonoichi%20027.jpg" /></span>　「おっ、スゲェ！」「おもしろいねえ」。子どもたちに素直に喜んでもらうと、案内しているこちらもうれしくなります。中学生を子どもと言い切るには、少し戸惑いもありますが。<br />　きのう、きょうと野々市中学校からFM-N1に「わく・ワーク体験」の２年生が来ています。神田菜摘さんと森裕亮さんの２人です。FM-N1が取り組んでいる未来系ラジオを感じてもらおう。これが今回のテーマです。２人がまず驚いたのは、インターネットと連動してパソコンやiPhoneで&quot;見える&quot;ラジオ、そして、ツイッターを活用していること。２人はツイッターやマイクなど、iPhoneの使い方を瞬く間に覚えました。<br />　きのうから神田さんと森さんはツイッターでこまめにつぶやいています。きょうは朝から自分たちが撮影した写真をスライドショーに上げる作業をしています。その２人の作品は１１時２０分からの番組「マイタウンののいち」の中で流れます。また、FM-N1ホームページの「FMN1ショー」からも観ることができます。<br />　そして、総仕上げとして、今日７日午後４時からの「マイタウンののいち」に出演します。神田さん、森さんがこの２日間で取材したこと、感じたことを話します。<br />（写真はインタビュー取材中の森裕亮さん＝写真中＝と神田菜摘さん=同右）</p>]]>
        
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    <title>喜多郎さんが９日のキャンパス・アメニティに出演</title>
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    <published>2011-07-04T03:15:38Z</published>
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        <![CDATA[<p><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image">&nbsp;</span><span style="display: inline" class="mt-enclosure mt-enclosure-image"><img style="margin: 0px 20px 20px 0px; float: left" class="mt-image-left" alt="0709 1amenity kitarou.jpg" width="242" height="179" src="http://fmn1.jp/images/0709%201amenity%20kitarou.jpg" />　</span>世界的な音楽家でシンセサイザー奏者の喜多郎＝写真＝さんは、KIT金沢工業大学虎ノ門大学院客員教授です。その喜多郎さんのインタビューと講演を７月９日（土）午前１１時～正午の「キャンパス・アメニティ」（１１日午後１時３０分～再放送）で放送します。音楽やシンセサイザーとの出逢い、音楽の持つ力、金沢工大生へのエールなどのインタビューをはじめ、喜多郎さんによる講演「世界的なアーティストが見るアジア音楽産業の変化と展望」をお届けします。</p><p>　KIT金沢工業大学虎ノ門大学院が主催して、去る６月９日に「激変するアジア音楽産業の舞台裏に迫る」と題した講演会とディスカッションが虎ノ門大学院キャンパスで開催されました。喜多郎さんのほかに講演したのは、同大学院教授の北谷賢司さん（コンテンツ＆テクノロジー融合研究所所長）、客員教授の阿南雅浩さん（エイベックス・グループ・ホールディングス執行役員経営戦略部長）、同じく客員教授の加藤衛さん（前JASRAC理事長）です。会場の講義室には虎ノ門大学院で学ぶ学生や第一線で活躍する音楽関係者、社会人など約１５０人が参加し、満員になりました。</p><p>　喜多郎さんは、グラミー賞やゴールデン・グローブ賞を受賞。世界から注目される日本人アーティストです。その喜多郎さんに講演の前に話をうががうことができました。世界をツアーでまわっている喜太郎さんが「日本の奥深い、素晴らしい文化を再認識しました」などと話し、素朴で温かな人柄がトークからも伝わってきます。</p><p>　</p><p>　</p>]]>
        
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