HOME> ヘッドライン> 開局16周年特番で一気にジャンプ
FM-N1ヘッドライン

開局16周年特番で一気にジャンプ

 あす12月27日はFM-N1の開局16周年になる。永いようでもあり、短いようでもある。番組編成、改編を担当して14年が過ぎた。これまでの番組、担当者や出演者の顔が次から次へと脳裏に浮かぶ。半年で中止になった番組もあれば、長寿番組として続いている番組もある。

 そんな中で、この1年は濃密な時間が流れた日々であった、と言ってもいい。新年、粟貴章町長(現市長)から、人口5万人達成報告があり、野々市町の単独市制実現が確定しました。民間ベースの市制応援フリーペーパー「のっティ新聞」の発行という事業も大団円を迎えることができた。

 ところが、3月11日、東日本大震災が発生した。ツイッターでM8.8(後にM9.0と修正)と知り、阪神淡路大震災(M7.2)を思い出した。当時の光景が忘れられないが、その数100倍の力である。20年ほど前、原発の取材を経験したこともあるが、その知識が少しでも役立つとは思ってもいなかった。

 スタッフの中から、震災現場へ支援に出かけたい、という熱い言葉を聴いた。4月中旬、東北へ向かった。「N1いぬわし隊」を結成、午前零時に車で出発し、一泊二日の日程で、帰着したのが深夜だったから丸二日の支援行だった。

 磐越自動車道から東北自動車道へ。盛岡から閉伊山地を抜けて宮古市へ。災害FM局を訪れた後、「万里の長城」とも言われた田老地区の大堤防を見た。堤防の向こう側に広がる穏やかな三陸の海と、根こそぎ破壊されつくした田老の町並みの対照はショックだった。山手には三陸鉄道の電車が走って行った。

 次は塩竃市へ。FM局が津波に流された「ベイ・ウェーブ」は市役所の4階、自衛隊の対策本部の狭い会議室で、住民のために臨時機材で放送を続けていた。

 支援物資を下した頃は、とっぷりと日が暮れていた。仙台市周辺や宮城県内には宿泊できる施設は残っていなかった。やむなく隣県の山形市で一泊した。翌日は、再び宮城県の石巻市へ。渋滞が発生しており、ラジオ石巻に支援物資を渡し、インタビューを終えた後は一路、野々市への帰路に就いた。

 還暦を過ぎて、2千キロを走るなど想像だにしていなかった。

 7月には再び岩手県へ、東北へ。陸前高田市の奇跡の一本松の前でリポートを行った。海岸べりでは警察官による行方不明者の捜索が続けられており、がれきは更に、うず高く積み上げられていた。遠野市の本田市長にインタビューし帰ってきた。今度は1600キロで済んだ。

 11月11日には、野々市市がスタートした。

 また、この1年は、新しいスタッフ3人を迎えることが出来た、という幸運も重なった。橋本、坂東、中島の3人で、それぞれが得難い特性を持ち合わせている。N1の可能性が一気に高まった。16周年記念番組の制作にも積極的に取り組んだ。

 27日は午前9時から、特番「野々市色に染め上げる」を放送する。野々市市誕生も記念し、N1が新しい市を野々市ブランドに染め上げるお手伝いをしたい、という意気込みを伝える。

 同特番は、サイマル放送でもお送りしますが、UStream放送でも生中継します。

 また、正午からは、特番「近つ野の市、遠つ野の市~東日本大震災の年に野々市市は生まれた」を放送します。一生忘れられなくなるであろう1年をまとめました。

 一方、午前11時からはUStream放送特番「素顔を見せて」をお送りします。FMN1の素顔、スタッフの素顔をお見せします。

 地域に密着したサイマル放送のコミュニティ放送局として、ジャンプ出来る手ごたえを感じられるラインナップが並んだFMN1の年末年始の番組を用意できた、と思っています。

 

Permalink | 2011年12月26日 14:49 | 宮崎正倫