考古学者と染織家、二人の吉岡先生
年末年始の特別編成、開局記念の特番態勢も無事終了し、16周年目の滑り出しも順調に推移している。この間の番組制作を通して、いろいろな方にインタビューや取材でお世話になりました。
特に、国立歴史民俗博物館の名誉教授である吉岡康暢(よしおか・やすのぶ)=金沢市=さんと、奇しくも同姓の吉岡幸雄(よしおか・さちお)=京都=さんのお二人である。康暢さんは考古学者で、幸雄さんは染色家である。
考古学者の吉岡さんとは、国史跡の末松廃寺=野々市市末松=の取材が縁となり、もう5年間ほどお世話になりっぱなしである。同廃寺が7世紀後半、当時の中央政権である天智朝の国家的事業として行われた手取川扇状地の開墾における中心的建造物である、という研究成果は、石川県中央部の発展の歴史を一挙に解明した、と言っても良いほどである。
特に、末松廃寺の遺跡に隣接する上林・新庄遺跡からは製鉄工房の跡や当時の役所跡とみられる大型住居跡も発掘されており、鉄製農具や灌漑技術など当時の最先端技術を縦横に駆使した開発だったことは、地元に住む私たちの古里に対する認識を一新してくれた。
更に、インタビューの中で、天智天皇と当時の加賀郡の大豪族であった道君の関係についても、朝鮮半島の国際的政治情勢を反映していることを指摘。蝦夷征討のための根拠地を確保するうえでも手取川扇状地の開発は重要であったことを話された。そうした中で明日香から、琵琶湖を臨む大津京への遷都の意味が分かるのではないかと示唆された。
また、これまで私が、末松廃寺に関する雑文を書いていたのを読まれ「二、三点おかしい個所がある」とご注意も受けました。授業料も払っていないのに指導していただいているようで感謝の気持ちが溢れました。
最後に、吉岡さんは「末松廃寺は朱仏寺と呼ばれていたが、当時の人は光り輝く仏像を見て朱色と感じたのだろうか…」とつぶやかれてスタジオを後にされたが、朱色のことが心の片隅に引っ掛かってしまった。
もう一人の吉岡先生は染色家の幸雄さんである。直接面識はないのですが、明後日(1月8日)、金沢21世紀美術館で、幸雄さんが伝統的な和の色の再現に取り組んだ仕事を記録したドキュメンタリー映画「紫~色に魅了された男の夢」上映されるのが縁になった。映画を撮影した川瀬美香監督から連絡を受けました。
吉岡さんは、京都の染織工房で、植物の染料で布を染め上げ、平安時代の色合いを追及している。
偶然にも、FMN1のスタッフが、吉岡さんが著した「日本の色辞典」を蔵していたため、年末年始特番のキーワードを「色」にして、番組制作に取り組んだ。
番組で取り上げた色は幾種類もあったが、茜、山吹、鈍(にび)、韓紅(からくれない)が印象的であった。
韓紅は、40年以上も前、私が大学受験の際、古文のヤマを張ったのが在原業平を主人公にした「伊勢物語」で、業平の百人一首が「千早ふる 神代もきかず 竜田川 韓紅に 水くくるとは」であったことから、「韓紅に水くくるとは」の番組名で2時間の特番とした。が、内容は「千早ふる」という落語をオチにした。
また、鈍色とは野々市をはじめとした北陸の冬の空を覆う色で、灰色の雲の代名詞として使用した。何か暗い印象を与えるが、豊饒の源の色として表現したものである。
北陸の歴史、伝統は鈍色の雲によって形成されたといってもよい。暖流である対馬海流が大陸からの寒気と触れ合って生まれた雲は、白山に雪を降らせ、豊富な水となる。水は山を駆け下って暴れ川となって手取川扇状地を形成した。その扇状地を鉄製農具、灌漑技術という最先端技術によって豊饒の土地としたのである。
思わぬところで二人の吉岡先生の業績が合体したようで、ウキウキとした番組制作となったのである。
そこでまた、ムラムラと悪戯心が起ってきた。染色家の吉岡先生の朱色と、末松廃寺の朱仏寺を合体させたら謎は解ける? 「作り話だ」と言って、考古学者の吉岡先生に叱られるのがオチかもしれないが…