野々市は歴史の上に立つ
これは、とんでもない事になってきたぞ。
先日の、野々市町広報番組「マイタウンののいち」を聴きながら、背筋に電流が走る気がしてきた。遺跡発掘の経過報告が話題だったが、9世紀後半の建物遺構が確認されているのである。それも、県内では前例がないような規模である。
人口5万人を目前にし、ようやく単独市制の要件を整えようかという矢先、平均年齢39・21歳(平成20年9月末現在)の若い町というイメージとは裏腹に、古い歴史の上に広がる土地柄であることがはっきりしてきた。
発掘場所は、町北部土地区画整理事業の用地内で、郷クボタ遺跡である。確認された遺構は、7間×3間の建物と5間×3間の建物がセットになっており、これが3組もあったのである。1間(柱間)は3メートルあったというから、21メートル×9メートルと15メートル×9メートルの建物が3セットあったことになる。当時としては、非常に大きな規模になる。
もう一つ興味深いのは、これらの建物が南北軸、つまり南北方向に長かったのである。発掘担当者の次の話が、さらに興奮を呼んだ。
この後、東西軸の建物遺構が出てくれば、これは完全に朝廷関係あるいは加賀国の政庁関係ではないかと、聴こえたのである。
確かに、発掘事業が長引けば、土地区画整理事業は時間がかかることになる。地元地権者のヤキモキも痛いほどに察しられるが、ここは慎重に発掘を進めてほしいものだ。
というのも、郷クボタ遺跡の近く、白山市の横江遺跡付近で、やはり9世紀の「石川郡庁」と思われる遺跡も出土している。そして、郷クボタ遺跡の方が規模が大きいように感じられるのは、素人の判断なのだろうか。
郷クボタ遺跡の近くを流れる安原川(郷用水=七ケ用水の一つ)の上流には7世紀中ごろの末松廃寺(国指定史跡)があり、その近くには8世紀の建物群がでた新庄遺跡がある。100年単位で、重要な遺跡が次々と現れるのである。
これまでは、点として存在していた遺跡が、それぞれの特徴を持ちながら連環のように、面としての広がりを持ってきているようである。遠くは津幡町の加茂遺跡(古代港湾都市)も含めると、これまで古代史の中で、ポッカリと抜け落ちていた石川の歴史が解明されようとしているのではないだろうか。
もうすぐ、末松廃寺の報告書もまとまる頃である。世界遺産という言葉に酔い痴れているような百万石文化より、真に貴重な歴史・文化に胸が躍るのである。
