道君の正体にますます興味津々
FM-N1が野々市町の歴史資産「末松廃寺」の取材を始めてから4年が経過した。5月には、文化庁の調査報告書が刊行され、11月15日(日)には、同町情報交流館カメリアで、「いまよみがえる末松廃寺」と題したシンポジウムが開催される。北陸では最古の仏教寺院である末松の大寺の正体も一般に公開され、地元・末松の長年の夢が実ることになっている。
ただ、調査報告書を素人ながらに読むと、これで終わることなく、ますます古代北陸の成り立ち、姿に興味を引かれることになった。
古代の「越の国」というのは現在の福井県嶺北地方から新潟県の信濃川、阿賀野川の河口付近までとされている。
同地域は、律令による統一王権が大和に誕生するまでは、縄文時代の日本海巨木文化圏に位置し、次第に稲作文化の勢力圏へとダイナミックに変貌していくわけだが、その移行期の最終段階に末松廃寺が建立されているのである。
そして、道君というのは、想像を超すような古代北陸では最大の豪族だったのではないか、と思い始めている。
「越の国」は以後、越前(加賀、能登を含む)、越中、越後と三つの国に分かれ、越前の三国からは第26代天皇が出現している。このことが、地理的には大和から遠隔地となる加賀、能登、越中、越後は越前より後進的と思われる結果を生んでいるのではなかろうか。
しかし、古代の統一王権が成立する以前は、縄文の色を濃く残し、北前(日本海)を挟んで大陸と対峙する位置関係から、歴史家の門脇禎二さんが言うような地域王国が存在し、道君が大豪族に成長していったのではなかろうか。 大和を中心にした日本の古代史的には、道君が文献に最初に表われる欽明32年(570年)からしか考察されない傾向があるため、まだまだ実像が分からないのであろう。
古代北陸を考える上でのヒントは、皇室の側近であった安倍氏なのだろうが、中央古代豪族の中にあって、蘇我氏を中心とした諸豪族の陰に隠れて、高い評価と関心を集められないことが、北陸の地を歴史の片隅に追いやっているのである。
今回の末松廃寺の文化庁報告書、シンポジウムは文献ではなく、考古学的手法による成果である。これを機会に、ふるさと北陸の歴史が更に解明されることを楽しみにしている。どれだけの時間がかかるか分からないが・・・
