末松廃寺の兄弟寺は必ず見つかる
11月15日、野々市町で開かれた「ふるさと歴史シンポジウム いまよみがえる末松廃寺」は、俄か歴史学徒として古里の昔を探ってきた身にとって、大変面白い内容であった。これまでの謎が解けた問題、将来に託された課題、そして謎のまま積み残されたテーマなどが、講演した先生方から提示された。
とりわけ、ここまで全国の発掘調査が進みながら全く手掛かりが得られていないものが、同廃寺本堂の軒丸瓦に施された単弁六葉蓮華紋の意匠である。他に発掘例がない、という珍しい瓦なのである。
以前、FM-N1の特番で、考古学の大先達である坪井清足さんにインタビューしたおり、「もっと発掘が進めばいつか、どこかから末松と同じ軒丸瓦が出てきますよ」と答えられているのを思い出しました。
今回のシンポジウムでも残念ながら、謎は謎のままに残りました。
しかし、講師の一人である立命館大教授で考古技術史が専門の木立雅朗さんが「末松廃寺の兄弟寺は必ずあります。能美市と小松市の間で見つかります」と予言的に話されたのには驚かされました。この兄弟寺が発掘されれば、単弁六葉蓮華紋の軒丸瓦がある可能性は高くなるという意味でしょう。
そして、故郷である石川平野の歴史解明が飛躍的に前進するのでしょう。予言された地域では新しい山寺が発見されるなど、楽しみはもうすぐのような気もしてくる。俄か歴史学徒の想像をはるかに超えるシンポジウムであった。
ことしの3月、石川県内の前方後円墳では最大規模の秋常山古墳(能美市)を見学する機会があった。後円部の頂から眺めた手取川左岸の扇状地の風景は、財部造が開発した古代の様子を惹起させるのに十分だった。
あの一角に、末松廃寺の兄弟寺が眠っているのかと思うと、もう一度訪れてみたいと思うようになった。
これまで、末松廃寺の歴史というピンポインだけの歴史観だけであったが、時の流れという要素が加わり、なおかつ野々市町だけの視点から石川平野全体に対する興味が湧いてきた。そういえば、白山市が、同市横江町で発掘された古代・石川郡庁跡の調査を続けるという話も聞いた。
古代文化の名残は現代社会にも直接的に、大きな影響を与えているという。石川県をはじめとした北陸の地、古代・越国の実像も近く解明されることを期待したい。
