PMCで見つけた〈35〉マレーネ・デートリッヒの「リリー・マルレーン」
2019年2月5日
終戦後15年、初めてベルリンの舞台に立った緊張感
マレーネ・ディートリッヒと言えば「リリー・マルレーン」、「リリー・マルレーン」と言えばディートリッヒと言うように、この両者は切っても切れぬ仲です。ディートリッヒは戦前のドイツで活躍した女優で、映画「嘆きの天使」で成功した後、アメリカに渡りました。この間、第二次世界大戦が起こり、ドイツの枢軸国とアメリカの連合国側が戦端を開きました。ディートリッヒは、祖国と敵対するにもかかわらず、連合国兵士の慰問のためアフリカ・欧州戦線を回りました。
「リリー・マルレーン」はドイツで作られた楽曲でしたが、敵味方双方で歌われ、両軍兵士達の心を慰めた、と言います。PMCでディートリッヒを検索すると、26件ありましたが、必ずと言っていい程、この曲が収録されています。これは、昭和45年(1970)に開催された大阪万博にディートリッヒが公演し、日本でも大ブームが起きたためと言われています。同曲を入れておかなければレコードが売れなかったのかもしれません。
これらの中に、「マレーネとの再会/ディートリッヒ・ベルリン・コンサート1960」というタイトルのアルバムがありました。ライナー・ノーツによると、慰問で励ました連合国の兵士達は祖国の若者に銃口を向けていたことになるので、なかなか祖国の土を踏むことが出来なかった、と記されています。戦後15年を経て、初めて故国でのコンサート実況録音盤です。「リリー・マルレーン」は普通、ディートリッヒの語りや、前奏部分に消灯ラッパの音が入ることが多いのですが、この盤では、いきなり歌が始まります。熟慮した上でしょうが特別な感情が込められているようです。
「リリー・マルレーン」はドイツの歌だと言いましたが、連合国側の慰問では英語で歌われました。このブログ「PMCで見つけた」の2回目、「ドーバーの白い壁」で紹介したヴェラ・リンはイギリス軍の歌姫としても知られ、彼女もアフリカ戦線の慰問で「リリー・マルレーン」を歌ったといいます。それでは、最初に歌ったのは誰でしょうか。それはドイツの女優・歌手であったララ・アンデルセンです。1939年にレコードが発売されました。PMCにはアルバム「オリジナル・リリー・マルレーン」の中に1曲だけがありました。モノラルでした。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。