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2023年特集「大地有情、風に事情」第9回 不思議の瓦 5月29日放送

2023年5月29日

加賀立国1200年・白山手取川ジオパーク世界認定記念特集
「大地有情、風に事情」~FM-N1末松廃寺取材チーム・メモ~から
「永瀬喜子の今日も元気で」(毎週月曜9:00~10:15)で4月から放送中

第9回(令和5年5月29日放送) 「不思議の瓦」

 1965年/昭和40年から始まった野々市市末松の末松廃寺発掘調査は、驚くべき結果の連続でした。一つは、当初から予想されていた通り仏教寺院の遺跡には違いなかったのですが、出土した須恵器の年代から、建立時期が660年、つまり白鳳時代に当たることでした。日本最古の寺院は、奈良県明日香の飛鳥寺とされており、時の権力者であり、仏教を受け入れた蘇我氏の氏寺として建立されました。しかし、蘇我本宗家が滅ぼされた645年の乙巳(いっし)の変ごろには、国家の寺としての官寺の扱いを受けています。
 全国各地の豪族に対して、仏教を広めるため氏寺を建立するように詔(みことのり)が発せられたのが673年/天武2年ですから、末松廃寺は詔に十年以上も先行することになります。北陸では最古級の仏教寺院になりますが、一体、この寺は誰が立てたのか? そして氏寺だったのか官寺(かんじ)だったのか、大きな謎が残りました。
 末松廃寺が仏教寺院であると分かったのは、中心伽藍である金堂跡から出土した瓦の文様によるものです。建造物の軒先を飾る軒丸瓦(のきまるがわら)の文様が素弁六葉蓮華紋(そべん・ろくよう・れんげもん)だったからです。素弁の数は違っても蓮華の花を模したデザインは、朝鮮半島の三国時代に起源をもつことが分かっており、先に紹介した飛鳥寺でも軒丸瓦の意匠として用いられています。
 末松廃寺と同様の素弁六葉蓮華紋の軒丸瓦を使っている寺院が奈良県大和郡山市にあります。大和の豪族であった額田部(ぬかたべ)氏の氏寺で額安寺(かくあんじ)と言います。調査・研究によると創建時の瓦ということで、7世紀第2四半期とみなされています。末松廃寺の少し前ということになり、同廃寺の創建660年とも符合します。
 もう一つの驚きは、末松廃寺の瓦が焼かれた登り窯が手取川対岸の旧辰口町(現能美市)湯屋(ゆのや)で発見されたことです。メモを書いている私も、その窯跡のうちの発掘現場1か所を見学したことがありますが、窯の内部には素弁六葉蓮華紋の軒丸瓦や平瓦などが混じって出土していました。しかし窯の規模は小さく、現地説明に当たっていた能美市の文化財担当職員によると、末松廃寺金堂の瓦は瓦でも、補修用の瓦を焼いた窯であるとの見解でした。金堂を葺いた大量の瓦を焼いた本窯は、まだ未調査となっている辰口古窯群だろう、と話していました。
 さらに気になる点を挙げれば、補修用の軒丸瓦と同じ木型から生産されたと思われる瓦が加賀市のJR加賀温泉駅に近い弓波遺跡から出土していることです。能美市の湯屋も加賀市の弓波遺跡も白鳳時代でいえば、財部造(たからのみやつこ)の勢力圏です。
 加賀郡の郡司である道君の勢力圏で仏教寺院を建てるなら何故、加賀郡内で瓦を調達しなかったのか。道君の本貫地である金沢市森本地区には観法寺窯があり、河北潟の水運を利用して野々市まで大量の瓦を運搬することも可能だったはずです。
 この疑問を解くために大胆な仮説を立ててみることにしました。実は、古代における石川県で、最初に創建された仏教寺院は道君の勢力圏である加賀郡の末松廃寺ではなく、財部造(たからのみやつこ)の勢力圏にあった能美郡内だったのではないか、という事です。まだ、知られざる古代仏教寺院が眠っているのではないか、という事です。
 前にもお話しましたが、財部造(たからのみやつこ)という地方豪族は、皇族であった宝皇女(たからのひめみこ)、つまり第35代皇極天皇(重祚して第37代斉明天皇)に奉仕する一族として、朝廷から定められていた可能性があります。
 皇極天皇とは、第33代推古天皇のあとを受け、非蘇我系の天皇となった第34代舒明(じょめい)天皇の皇后です。舒明天皇は日本で最初の官寺である百済大寺(おおでら)を創建しました。一旦、焼失しますが642年/皇極元年に、皇極天皇が再建に乗り出します。日本書紀によると、再建には近江と越の国から徴発した公民を使役した、と記されています。
 蘇我氏を代表とする大豪族による政治体制から天皇親政の政治体制に大転換を図ろうとした天智朝が、新たな財政基盤を、自らの支配下にある地方に求めるのは当然の帰結かもしれません。それが能美郡の財部造であった可能性は高いのではないでしょうか。百済大寺再建のために徴発された越の国の公民の中に能美郡の出身者がいたかもしれません。
 そうだとするならば、末松廃寺に先行して、官寺の性格が色濃い仏教寺院が存在しても不思議ではないでしょう。
 もしも、この仮定が真実であったとしたら未発見の寺院も、末松廃寺も地方豪族の氏寺など私寺ではなく、実質的に官立の寺院、官寺(かんじ)と言う意味の原義である「大寺(おおでら)」という事になります。まさに「白鳳の大寺」なのです。
 古いデザインの素弁六葉蓮華紋の軒丸瓦が謎解きをしてくれるよう祈っています。


写真/末松廃寺の軒丸瓦。素弁六葉蓮華紋という珍しい意匠で、こうした蓮華のデザインは朝鮮半島の三国時代に起源があります。