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2023年特集「大地有情、風に事情」第17回 武士団の誕生 7月24日放送

2023年7月24日

加賀立国1200年・白山手取川ジオパーク世界認定記念特集
「大地有情、風に事情」~FM-N1末松廃寺取材チーム・メモ~から
「永瀬喜子の今日も元気で」(毎週月曜9:00~10:15)で4月から放送中

第17回(令和5年7月24日放送) 「「武士団の誕生」

 末松廃寺の建立と本格的な手取扇状地の開発が始まる前の7世紀前半、第33代推古天皇の頃には既に、末松廃寺の周辺に小規模な集落が進出していました。この後、天智朝も開発というより、まず末松廃寺建立の拠点として廃寺の北東側に小集落を開いていったようです。
 廃寺が完成して、墾田化事業が軌道に乗り始める7世紀末から8世紀前半にかけ、拠点集落は規模を拡大するとともに、廃寺から東へ約400㍍離れた微高地に、新しい大規模な集落が誕生して行きます。南北900㍍、東西100~150㍍の自然堤防帯に展開することから分かるように短期間のうちに、扇状地開発に当たった移住民の人口が爆発的に増えたことが分かります。奈良・飛鳥では藤原京から平城京にかけての時代で、末松廃寺が一旦、廃絶した時期でもありました。
 最初の墾田開発は、現在の手取川七カ用水で言えば郷用水を中心にした開発ということになります。東方の微高地に開発拠点を移した移住民たちは、更に微高地の背後地にあたる富樫用水の上流域へと進出します。現在の上林、新庄地区に当たります。
 奈良時代の743年/天平15年、第45代聖武天皇によって墾田永年私財法(こんでん・えいねんしざいほう)が発布されます。新たに墾田を開拓した豪族、寺社はその墾田を私有化できる、と定めた法律で、後の荘園成立の導入口になっていきます。
 墾田私有が認められるとなれば、手取扇状地の開拓に拍車がかかったことは容易に想像できます。8世紀半ばを過ぎると、上林、新庄地区の大集落は更に粟田、中林地区へも拡大されて行きます。開拓民の指導者の権限は増々強くなっていったことでしょう。この勢いは9世紀末ごろまで続きます。
世の中は奈良時代から平安時代へと移って行きます。藤原氏の摂関政治が華やかなりし頃、律令制における公地公民、班田収授法は有名無実化して、白山市横江から金沢市上荒屋にかけて広がっていた東大寺領横江荘も姿を消してしまいます。823年/弘仁(こうじん)14年の加賀立国の後も勢力を誇った在地豪族の道君の姿も消えて行きます。
 残されたのは、末松廃寺建立を契機に手取扇状地を豊かな乾田へと開拓してきた移住民の子孫たちで、開発領主を中心に新興勢力として多数の集団が形成されてきました。
その中でも頭角を現してきたのが、古代の行政単位であった拝師(はやし)郷、現在の野々市市上林、新庄地区に当たりますが、この拝師郷に本拠地を構えた林一族だったのです。
 「拝師」の名前が文字資料として残るのは平安時代の789年/延暦8年~792年/延暦11年の頃、第50代桓武天皇ですが、平安京に都が遷る前の長岡京から出土した木簡に記されているのが最古で唯一の資料です。
 現在の野々市市上林3丁目に「林郷八幡(はやしごう・はちまん)神社」があります。「拝師」と書かれた木簡から222年後の1013年/長和2年の創建になります。時代は藤原道長が実権を握っており、世界最古の小説と言われる「源氏物語」を書いた紫式部、随筆「枕草子」で知られる清少納言が活躍して宮廷文化が華やかな頃でした。
 拝師郷の総社だった、と伝わり、祭神は応神天皇、神功皇后、三条天皇です。三条天皇は第67代天皇で、林郷八幡神社が創建された長和2年当時の今上天皇ですが、即位に当たっては藤原道長の同意を得なければならない立場であり、林一族が祭神に勧請する、つまり神として招くことで朝廷なり藤原道長の後ろ盾を得ることに成功した、と思われます。
 手取扇状地の開発領主のなかでも棟梁としての地位を築き上げたのです。
 一般的に、応神天皇と神功皇后を祀る八幡神社は武家の神社とされています。林郷八幡神社は郷用水沿いにあって、同用水並びに、下流で合流する安原川に沿っても多くの八幡神社が鎮座しています。古代における手取扇状地の開拓の中心地が拝師郷であり、郷司であった林一族が武家の性格を強くしていったことは、扇状地の一角に武士団が誕生した事実を示しているのではないでしょうか。私有地を持ち、荘園を管理する地頭から武士団の棟梁としての姿を現すことになります。
 平安時代から鎌倉時代にかけて、手取扇状地には林一族の末裔と称される武士団が居ましたが、詳細については解明されていない点が数多く残されています。ここで林氏系図から、林氏に連なりますが、異なる名前の一族を拾ってみます。
 大桑、豊田、松任、安田、横江、近岡、板津、倉光、白江、石浦の各氏がいます。源氏となる武士団です。


写真/野々市市上林に鎮座する林郷八幡神社。境内のすぐ東側に林口川(富樫用水・下流の名は十人川)が流れ、架かっている橋の名は「拝師橋」。林氏が治めた林郷は古代では「拝師郷」と記されていました。