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2018年度の記事

PMCで見つけた〈21〉ナット・キング・コールの「オー・タンネンバウム」

2018年12月7日

初めての曲と思ったらドイツ語で「もみの木」だった

 

FM-N1の長寿番組に「ブロークン・タイムマシン」がある。開始から20年が過ぎ、来春にはまた一つ年輪を刻むことになる。担当パーソナリティはロイ・キヨタさんで、昔は音楽業界の周辺の住人だったこともあり、音楽を伝える姿はまさに水を得た魚のようで、見ているだけで音楽が好きになってしまう。オールディーズを中心としたリクエスト番組だけに、レコード・ライブラリーのPMCとも親和性が高いと言える。

 

番組は、顔見知りではないものの、多くのリクエスターさん達がそれぞれ得意分野の曲を紹介し合いながら、一つのコミュニティを造り上げているようである。季節ごとにテーマを選びながら、選曲に知恵を傾ける姿も透けて見える。さる2日にはクリスマス特集もあった。歌手の顔ぶれがディーン・マーティン、アン・マレー、アンディ・ウィリアムス、ナナ・ムスクーリー、ナット・キング・コール、ビング・クロスビ-という錚々(そうそう)たるもの。

 

中でもナット・キング・コールの「オー・タンネンバウム(O Tannenbaum)」は初めて聞く曲名だった。ドイツ語らしいが、歌い出されると分かった。お馴染みの「もみの木」である。ちなみにPMCのデータ検索をしてみたが「タンネンバウム」では引っ掛からなかった。キヨタさんは「タンネンバウム」は日本語表記で、英語では「タネンバウム」だと言う。しかし、ナット・キング・コールの歌声を聴くと「タンネン」に聴こえるから、どちらが正しいとも言えない。

 

PMCのレコードを眺めていると、クリスマス・ソングというと大物と言われる歌手がやたらに目に付く。キヨタさんは「クリスマス・ソングはよく売れるんですよ。だからレコード会社はシーズンが来ると毎年のように新しい盤を作る」からと秘密を教えてくれた。しかし最近、アメリカでは「メリー・クリスマス」は禁句だという。多人種、宗教の問題らしい。神様同士が仲の良い日本では、「メリー・クリスマス」と快哉しよう。(宮崎正倫)

 

 ◇KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

 

おっ!ヤーコンジャム~♪

2018年12月6日

12月1日(土)第13回全国ヤーコンサミット in  野々市  が開かれました。

FM-N1スタッフも数名参加。(私はお留守番)

なかなか盛況だった模様。

皆さん、ヤーコンってご存知ですか~?

私は名前は聞いていたし、ヤーコン茶っていうのも知ってた(飲んだことはないけど)んですが、実際に見たことはなかったんですね・・・

 

ほんとに体にいいそうです。

野々市市はヤーコンが特産品なんです。

 

 

で、サミットでは基調講演で FOOD研究科の菊地代緒恵さんが最強のスーパーフードでナチュラルエイジング&アンチエイジングという題目でお話されたそう。

そ・し・て・試食会もあったんですね(^^)

サミットに行けなかった私ですが、ヤーコンジャムを買ってきてもらえました。

早速お昼ご飯で、いただきま~す(^^♪

そんなに甘くなくておいしい!!

色もいいですね。石川県立翠星高等学校食品科学研究会のみなさんが作ったんです。すごいな~

金沢工業大学でもヤーコンプロジェクトとして取り組んでいますよっ

 

 

 

このサミット、毎年開催してるそうなので、気になる方は是非参加してみてくださいね~

↓ 野々市市のホームページでもヤーコンのことが出てますのでチェックしてみてください~ 

https://www.city.nonoichi.lg.jp/index.html

(なかにしみき)

PMCで見つけた〈20〉ザ・スリー・ディグリーズの「荒野のならず者」

2018年12月4日

荒野を「あらの」と読む大学院生の清々しさ

 

先週の番組「KIT PMCレコード・ボックス」の中で、ザ・スリー・ディグリーズのアルバム「スリー・ディグリーズ」が紹介されていた。「ソウル・トレインのテーマ」から始まり12曲が収められている。大ヒット曲の「天使のささやき」「荒野のならず者」のほか、日本で限定発売されて日本語で歌っている「にがい涙」などお得感のする一枚です。

 

この番組は金沢工業大学の学生がPMCで制作し、FM-N1で放送している1時間枠のものです。月曜から~金曜までの午前5時~、午後3時~、深夜3時~の3回放送のほか土曜、日曜でも再放送をしています。学生の知らない時代の音楽を紹介するため、初々しい解説が楽しい、と視聴者の方からも応援する声が多く寄せられています。この回の担当者は建築科の大学院生でした。

 

収録した番組はPMCスタッフのチェックを受けますが、その中で「荒野のならず者」の曲紹介を最初は「あらのの・ならず者」としていたようです。早速訂正したのですが、どうして、このような間違いが起きたのか理由を聞いたそうです。返ってきた答えは想像の域を超えたものでした。「讃美歌では『荒野』を『あらの』と歌うんです」。

 

そうか、讃美歌が日本に入って来た頃、「こうや」という読み方はなく「あらの」というのが普通の日本語だったんだ、と思い知りました。「荒野のならず者」の原題は「Dirty Ol’ Man」というのですが、Dirtyとは正反対の清々しい気持にさせられました。私は「PMCで見つけた」のブログと並行して、野々市市の国史跡・末松廃寺のブログも書いていましたが題名は「石塊(いしくれ)の荒野(あらの)睨む白鳳の塔」としていましたが、何かホッとさせられました。(宮崎正倫)

 

 ◇KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

 

PMCで見つけた〈19〉ディーン・マーティンの「ロバート・E・リーを待っている」

2018年11月30日

甘さ控えめ、ラグタイムに乗って軽快な歌声

 

ディーン・マーティンと言えば、酒に酔ったような甘い歌声で魅了する歌手だと思っていたが「ロバート・E・リーを待って」は少し趣を異にしていた。PMCで見つけたのは「SWINGIN’ DOWN YONDER」というアルバムだった。収録12曲は1920年代のヒット・ソングばかりらしいが、ディック・ステイビルのディキシー・キャッツの演奏で、1955年(昭和30)の録音である。

 

ディキシーランド・ジャズとは、ミシシッピー川の河口の町ニューオリンズで、南北戦争の後に放棄された軍楽隊の楽器が黒人たちの手に渡り、演奏が始められたジャズの原型である。バンジョーの音とコルネットやトロンボーン、バス、クラリネットが特徴的だ。が、バンドスタイルの演奏はあっても、バンド演奏で歌うスタイルは余り聞いたことがない。それだけ、このアルバムは新鮮な気分にさせてくれる。

 

「ロバート・E・リー」とはミシシッピー川を運行する船名だが、外輪船だったのだろう。曲の所々に汽笛を思わせる演奏が入ってくる。低音のバスが、聴く者を腹の底から揺さぶるような金管のラグタイムがなんとも心地よい。この船には誰が乗ってくるのだろう。川の堤まで、心を弾ませて出迎えるほどの人に違いないのだろう。

 

レコード収録をしたのはマーティンが38歳の時で、コメディ映画で大うけしたジェリー・ルイスとの“底抜けコンビ”を解消する2年前のことである。ソロ活動をするようになってからはジャズ歌手として、そしてポップスも歌いこなした。仲の良かったフランク・シナトラとは違って、肩の力を抜いて楽しそうに歌うジャズだった。テレビで見るしか方法がなかった頃だが、拝聴させていただく、という感じのアンディー・ウィリアムスより好きだった。

 ◇KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

 

PMCで見つけた〈18〉ダニー・デイビスとナッシュビル・ブラスの「マウンテン・デュー」

2018年11月27日

アパラチア山脈に住み着いた移民の密造酒

 

演奏の出だしは軽快なバンジョーから始まり、コルネットが加わる。てウッド・ベースがリズムを刻む中、スキャットがつないでトロンボーンがメロディーを奏でる。220秒ほどの曲だがカントリーらしい心地よさが後に残ります。PMCで探しても15曲ほどしか見当たらないナッシュビル・ブラスの演奏です。

 

デューは「dew」は「露」の意味ですが、「マウンテン・デュー」は密造酒の事だそうです。何か甘い炭酸飲料を想像してしまいましたが、全然違っていました。この曲はアメリカ・アパラチア山脈に伝わる古いフォークソングを基にしています。地図を眺めると、東海岸と中央部の大平原を分けるのが同山脈です。歴史的にはイギリスからの移民が西部の土地を目指して進んだのがアパラチア越えの道です。

 

馬車に乗り、あるいは徒歩の家族連れが越えるには険しい道程でした。西部の新天地を諦めて、山間で定住する人達もいました。この後、ニューヨークのハドソン川から五大湖につながるエリー運河が完成して、西部に向かうには水運を利用してシカゴに向かうのが幹線となりました。その先は「ルート66」が西海岸まで伸びます。

 

つまり、アパラチア山脈越えは裏街道となり、定住した人達は大躍動するアメリカの歴史から取り残された格好になり、反対にイギリスの古い文化、伝統を残していくことになったのです。密造酒と聞けば、利益を目的とした行為と思いがちですが、山奥に築かれたコミュニティで供された地酒なのでした。マウンテン・デューを飲むとき、人々は新天地に辿り着けなかった悔やみの苦い酒になったのか、はたまた、この地を桃源郷と思い定めて酔いしれたのか、私には分かりません。(宮崎正倫)

 

 ◇KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

 

ブログ BIG APPLE in フォルテ

2018年11月26日

11月25日(日)は野々市市文化会館フォルテで BIG APPLE in nonoichi 2018 が行われました!

残念ながら当日は行けなかったんですが、前日Workshopが行われ、見学無料だったので、仕事が終わってから行ってみました。

ロビーでは売店も出ていて、いい匂いにつられて、カレーを注文。

横のソファで食べていると、なんと粟市長が同じカレーを注文して食べていました。

(写真撮らせてくださいとは言えず、画像はありません、残念・・・)

 

 

 

 

 

レコードジャケットも展示されていて、ワクワクしますね。

 

大ホールに入ると、大学生が受講中でした。

テナーサックス奏者のレイモンド・マクモーリンさんがアドバイスしていて、全部英語!!! むむっ・・・

大丈夫、ちゃんと通訳がいました~

即興でソロも演奏してくださり、ものすっごい得しましたね。

 

 

 

 

次は野々市明倫高校吹奏楽部の皆さん。

人数が多かったので、レイモンドさんは楽器は演奏せず、アドバイスのみ。

でも最初よりは全然演奏もよくなって、絶対にいい体験だったと思います。

 

 

 

 

小ホールでは、ピアノ、ギター、ドラムなどのワークショップで、すでに満席となっていたんですね、残念。

25日の演奏は、聴いた人によると、すごくわかりやすい構成で、ジャズをあまり知らない人でも聴きやすかったそうです。

 

毎年野々市市で開催しているので、来年はチケット買おうかな~

 

まだ行ったことのない方は、まず見学無料のほうから行ってみるのがいいかもしれませんね~

 

 

 

(なかにしみき)

 

PMCで見つけた〈17〉ザ・シュレルズの「ベイビー・イッツ・ユー」

2018年11月23日

これでは「シューパーマン」になってしまう

ザ・ビートルズの初期の楽曲が好きだ。それは、彼らがライヴ演奏でアメリカのR&Bやロックンロールをカバーしていたものだ。だから次第にアメリカのロックンロールが体に染みついてしまった。ビートルズがイギリスで最初に発売したアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の中には14曲中に6曲が含まれている。その中の1曲に「ベイビー・イッツ・ユー」がある。

オリジナルはアメリカのガールズ・グループのザ・シュレルズ(The Shirells)である。この曲は彼女らの代表曲でもある。が、ここでグループ名の綴りをみてほしい。普通にカタカナ読みをすれば「シレルズ」になってしまう。PMCのデータを検索すれば「シュレルズ」で9件、「シレルズ」で6件が該当した。これは日本発売に当たってレコード会社がジャケットやライナー・ノーツに書いているので、公式な読み方になるのでしょう。が両方とも正解であれば戸惑ってしまう。英語らしさを感覚的に捉えて「シュ」としたのだろうか。

同じことが、「愛はどこへ行ったの」「ベイビー・ラブ」で有名なグループのザ・シュープリームス(The Supremes)にも言える。素直には「シュープリームス」とは読めないのである。英語に近い発音では「スプリームズ」なのである。語尾も「ス」ではなく「ズ」である。FM-N1では原則カタカナで紹介する、としているので、難しい選択になる。

そこへ、番組パーソナリティのロイ・キヨタさんがひと言。「それでは空を飛ぶ人はシューパーマン」になってしまう」。アメリカの活劇ヒーロー「スーパーマン(Superman)」のことである。形にとらわれない融通無碍(ゆうずうむげ)が日本人の特徴であるならば、ここは、私も日本人らしく問題を先送りにしてしまおうか。(宮崎正倫)

 ◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈16〉ハンク・ウィリアムズの「カウ・ライジャ」

2018年11月20日

先住アメリカンの太鼓の響きが物語の幕を開ける

先日、久しぶりにクリント・イーストウッドが出演しているマカロニ・ウェスタンを観た。古い西部劇では正義の味方だった騎兵隊もなかなかの悪ぞろいだったりするようになった。敵役だったインディアンも主役級となって正義の味方に肩を並べるまでになり、呼び方も先住アメリカンに変わってきた。私達も戸惑いながらも新しい呼び名に慣れてきた。

ただ、古い西部劇の筋書きや、古いウェスタン・ソングの歌詞などは変えることができない。歴史的な作品としてとらえるしかないのが実情だ。その中の一つにハンク・ウィリアムズの「カウ・ライジャ」ある。曲の始まりは、先住アメリカンの太鼓の音がリズムを刻み、歌詞の出だしは「Kaw-liga was wooden Indian standing by the door.」で、思いっきり木彫りのインディアンとある。

物語は観光地の土産物店の前に飾られた木彫りのインディアン人形が、通りを挟んだ店の前に飾られた女性の木彫り人形に恋をした、というもの。もちろん、近寄ることも、話しかけることも、相手の返事を聞くこともできない。そのうち、観光客が来て、女性の方の人形を買っていった。カウ・ライジャはただ立ち尽くして古い松の木になってしまった。

悲しいカウ・ライジャのレコードはPMCに、カバーされた邦楽も含めて35件があった。売れ残った土産物も悲しいが、家に持ち帰ったのはいいが、押し入れの隅に押し込まれて忘れ去られるのも儚い運命である。我が家に多いのは安物の壺と、馬の民具と置物。北海道で求めた革製の馬のキーホルダーは20年以上も使っている。ただ、鮭をくわえた熊の置物は玄関にも何処にもない。(宮崎正倫)
 ◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。

ブログ オータムコンサート in フォルテ

2018年11月19日

11月16日(金)野々市市文化会館フォルテで 野々市明倫高校吹奏楽部のオータムコンサートがありました。

 

 

 

高校生や保護者など、開場前から列ついて並んでました(もちろん私も)

 

 

 

 

 

入口でパンフレットをもらうと、中に手書きのメッセージが入ってました。

1人1人違う生徒からのメッセージでした。ありがとう~

 

 

 

 

第1部は

明倫高校校歌

Wave

El Camino Real

そして、友情出演の野々市中学校と布水中学校との合奏で

宝島(↓)

全員ステージに上がっての演奏は迫力ありますねぇ(^^♪

 

 

 

 

 

 

第2部は劇仕立てのステージでした~

おどるポンポコリン、ひまわりの約束、スーパーマリオブラザーズ。

チェリーの合唱。

 

 

 

 

アンコールは Breezin' 2月に出場する東京で開催の、シンフォニックジャズ&ポップスコンテストの課題曲だそうです。

とても楽しいひとときでした。

なんと入場無料だったので、皆さんも次は是非行ってみてくださいね(毎年フォルテでやってます)

 

 

(なかにしみき)

末松廃寺余聞・第3話「時空の断絶結ぶ」

(いしくれの・あらのにらむ・はくほうのとう)

石塊の荒野睨む白鳳の塔

加賀百万石の原風景・末松廃寺

末松廃寺余聞・第3話「時空の断絶結ぶ」

 「石塊の荒野睨む白鳳の塔」の物語は、斉明6年(660)頃から始まった末松廃寺造営が手取扇状地の大規模開発につながり、七カ用水の整備と加賀百万石の穀倉に成長していった道筋を述べたい、というものです。全体像としては、まだまだ未解明な点も多く、新事実の発掘や学問的な論争が現在でも続いています。
 この物語は別の観点から見れば、末松廃寺が墾田地の拡大と共に、手取川からの灌漑取水口が中流域から上流域へと移動するに連れて、取水口を護る象徴としての寺社も同時に移動せざるを得ず、最終的には白山比咩神社になっていった、という変遷史です。

墾田開発の拡大と共に灌漑の取水口は上流へ

 10月3日から始めたブログですが、構想の段階では加賀百万石の原風景と言いながら実は、途中で時間軸が切れてしまい、白山比咩神社まではつながっていなかったのです。本編の方では、平安時代中期には野々市市末松2丁目から白山市安養寺付近まで取水口と寺院が移ったのではないかと記しました。ただ、安養寺付近からは直接結び付く遺跡が発掘されているわけではありません。また、安養寺の平安時代中期から、室町時代の白山比咩神社まで一気に時代が飛び、中継点が見つかっていなかったのです。

白山宮の遺跡から平安時代後期の地層を発見

 そうした中、10月19日に、石川県教育委員会から、白山比咩神社の前身とされる「白山宮」があったとされる古宮(ふるみや)

白山比咩神社・旧社地の古宮遺跡。安久濤ヶ淵の岩場上にある。上方の川が手取川。旧社地の下が発掘調査区(県埋蔵文化財センター資料から)

遺跡(白山市白山町)の発掘結果について発表がありました。その中で、最も興味が惹かれたのは4面の地層が確認出来て、最も古い時代は平安時代後期~末期のものでした。末松廃寺の物語で、切れていた時間軸が一気に結びつく可能性が出てきたのです。10日後の10月29日、現地の説明会に行って来ました。
「古宮遺跡」は手取川が山間から扇状地へと迸(ほとばし)り出る地点の右岸、昔から「安久濤ヶ淵(あくどがふち)」と呼ばれる切り立った岩山の頂上にある遺跡で、白山宮がありました。白山比咩神社の記録によると、室町時代の1480年に火災に遭い、現在地に移転したとされています。京で応仁の乱が勃発した直後に当たります。
今回の調査は、古宮遺跡東側に当たる北陸鉄道石川総線の旧加賀一の宮駅付近で、線路跡を自転車専用道路「手取キャニオンロード」に整備するための事業に伴うものです。

祭祀に使われた大量の素焼き土器皿が出土

古宮遺跡で発掘された4層の遺構面。穴の中にある最下部が平安時代後期~末期のもの

古宮遺跡で発掘された石列遺構。区画石とみられている

 県埋蔵文化財センターの説明によれば、発掘された地層は、表層に近い第1面が「室町~戦国期」、2面が「鎌倉~室町期」、3面が「平安末期」で最下層の第4面が「平安後期~末期」となっています。建物の礎石、石列を持つ区画溝、石畳状の敷石遺構、石段状遺構などを検出。火災後の整地層や遺構面が確認できたことは、文献史料から知られている白山宮の火災や自然災害の度に繰り返えされた神殿の再建を裏付けるもの、としています。
遺物としては、大量出土のカワラケ(素焼きの土器皿)、中国製の青磁、白磁の碗(わん)・皿、瀬戸焼の製品、加賀焼、珠洲焼、越前焼のすり鉢、甕(かめ)など2万点以上が出土し、特に平安時代の地層から出土したカワラケは遺物の九割以上を占めています。中には意図的に割られたと思われる皿も多く、繰り返し祭祀が執り行われた証拠、とみています。

1068年に焼失した白山社はどこにあった?


 また、同センターの説明によると、白山宮の火災に関する文献史料として、当時の学者などが白山宮の火災について調査、報告した鎌倉時代の文永六年(1269)付吉田兼文勘文(かんもん)に「後三条天皇の治暦四年(1068)、加賀白山社の神殿ならびに御躰等が焼失し、再び造立がなされた」と引用されている、という。
 治暦四年といえば、末松廃寺が廃絶した直後頃にあたり、同廃寺の南方向(手取川上流)となる安養寺付近に取水口が移った頃になります。しかし、地名に付く「寺」の文字から推察すると、取水口付近にあった寺院は安養寺廃寺であって、神社とは思えません。可能性の第一としては、安養寺廃寺が火災に遭い、再建された寺院が、鎌倉時代には白山宮と呼ばれていたのかも知れません。
 もう一つの可能性としては安養寺付近に寺院と神社の二つが建立されていた、ということです。以後、寺院は寺院として、神社は神社としてそれぞれの道を歩んだ、ということですが、建立の主体についての考察が必要になります。最後の可能性は、安養寺とは別の地域に神社が建立されていた、ということです。

「白山宮の下流1㎞に“原・白山宮”があった」

 一方で、同センター職員から、このような言及がありました。白山宮の前身についてです。「伝承によると、古宮遺跡に白山宮が建てられる前は、1㎞ほど下流に前身の神社がありました」というものです。安養寺と古宮遺跡の中間に“原・白山宮”があったことになります。古宮遺跡の最下層が平安後期~末期であるということは、その時期までには原・白山宮があったことを意味します。
 古宮遺跡は安久濤ヶ淵の岩山の頂上にあって、現在は、手取川七カ用水白山管理センターの存在が示すように、全域の取水口となって一元管理されています。しかし、白山宮が建立された平安後期~末期の頃は、同遺跡は取水口ではありませんでした。それでは、一体どうして、この地に建立されたのでしょう。
 もしも原・白山宮が存在するとするならば、その比定地は、手取川の形状から考えて、最後の取水口ではないような気がします。最後の取水口はさらに下流かもしれません。白山宮がそうであるように原・白山宮もむしろ白山宮と同様の性格を帯びていたのではないでしょうか。


暴れ川を征服した記念碑的な神社

 大胆に推理するならば、越道君の勢力下にあった右岸のみならず、財部(たからべ)氏の勢力下にあった左岸の開発も最終段階に入り、川幅が狭く、両岸の合流点とみなされる地に開発完成記念の証として白山宮が建てられた可能性もあるのではないでしょうか。そして、何かの原因で安久濤ヶ淵の上に移ったとしたら、どうでしょう。
古代から中世にかけての扇状地開発は、平安時代後期から末期の間には完了していたことになります。前述したように、白山宮が建つ安久濤ヶ淵は手取川が山間部から平野部に流れ出す位置にあります。同淵の上から手取川を見下ろす絶景です。水墨画の題材としても一幅の画となります。それは名うての暴れ川をついに征服したという充実感を味わうには最適の地です。白山宮とは、そんな記念碑的建物だったのではないでしょうか。


新しい世界を生み出した水の神・菊理媛尊

 白山比咩神社の祭神は菊理媛尊(くくりひめのみこと)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)です。この三神は日本書紀の中に出てきます。死んで、黄泉(よみ)の国に居るイザナミに逢いに行ったイザナギが現世に帰る時、黄泉平坂(よもつひらさか)まで追いかけてきたイザナギと言い争いになります。その前に現れたのが菊理媛です。二人をなだめ、イザナギはこの世に帰ります。直後に穢(けがれ)を払うために水中に入って禊(みそぎ)を行い、その際に生まれたのが天照(あまてらす)大神、月読命(つくよみのみこと)、素戔嗚尊(すさのおのみこと)です。禊によって新しい世界を生み出したと言ってもいいでしょう。
 菊理媛とは、新しい世界を生み出す場面に登場する神です。そして黄泉の国で穢に触れたイザナギを現世に帰すことで穢れが広がることを恐れ、帰すまいと迫るイザナギの間に立って、水を潜(くぐ)って禊をすれば穢を払える、と教えた水の神である、と思っています。「くくりひめ」の名前の由来ではないでしょうか。
 暴れ川の水を治め、手取扇状地という新しい世界を生み出した水の神・菊理媛ほど白山宮の祭神として似合う神はいないのではないでしょうか。(宮崎正倫)(おわり)