受験シーズンですね・・
2019年2月1日
2月になりました。
もう受験シーズンに突入したんですね。
今日から入試っていう学校多いようです~
今日は朝から雪で、真っ白。。
大雪までにはならなかったので、一安心。
金沢工業大学も今日から入試がはじまりました。
受験生のみんな、全力を出し切れますように(>_<)
受験勉強のお供には、ラジオFM-N1を聴いてくださいね。
76.3MHzですよ!念のため・・・
(なかにしみき)
PMCで見つけた〈34〉ザ・ブラザーズ・フォアの「遥かなるアラモ」
180年経った今も越境、入植民の問題は繰り返す
ザ・ブラザーズ・フォアが歌った「遥かなるアラモ」は1960年(昭和35)のアメリカ映画「アラモ」の主題歌です。この映画は、メキシコからのテキサス独立戦争(1863年2月23日~3月6日)13日間をテーマにした内容です。独立を目指すアメリカ側の軍人や義勇兵250人がアラモ砦(とりで)に立て籠もったのに対し、メキシコ軍1600人が攻め寄せて、最後には籠城軍を全滅させた、という実話が基になっています。
「遥かなるアラモ」の原題は「Green Leaves Of Summer」で、のどかな曲調は荒々しい戦いとは落差があります。歌詞は、ナマズが川面から跳びはね、松の木が目にまぶしい自然豊かな田舎の風景、恋人や夫婦の暮らしが歌われて、題名の通り、夏の青葉が若者に、故郷へ帰れと呼びかけています。
映画の中では、主役のジョン・ウェインが扮する義勇兵のデイビー・クロケットが、最後の戦いの前夜となる場面で、「何を考えている」と問われ、「思い出しているだけさ」と答える時にバックで流されているという。戦況から既に死を覚悟しながら、懐かしい故郷に思いを馳せていることを表しています。身を挺して国のために闘う愛国心を高揚させるような「アラモを忘れるな」という格言が残されているようです。
しかし、メキシコ側からみれば、勝手に国境を越えて入植してきたアメリカ側がテキサスを独立させようと画策しているように見え、領土を守るためにアラモ砦を鎮圧した正義の戦いになるでしょう。結局、現在はテキサス州としてアメリカに属する結果となっています。ところが現アメリカ大統領のトランプ氏は、メキシコ側からの不法移民を取り締まるために“壁”の建設に精力を傾けています。アラモ砦の攻防から約180年経った今も、問題は繰り返しているのでしょうか。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈33〉バディ・ホリーの「ペギー・スー」
2019年1月29日
青春時代のロックンロールが始まった1曲
182㎝の長身に、眼鏡をかけてスーツ姿。こんな男がロックロールの創始者の一人に数えられるバディ・ホリーです。活動期間は1957年からわずか2年程でしたが、ザ・ビートルズなど後に続くバンドに大きな影響を与えました。ギター2本にベース1本、ドラムスを加えた4人編成で演奏を始めたのもバディ・ホリー&ザ・クリケッツでした。当時は、ロックンロールといえどもビッグバンド・スタイルでしたが、お金のなかった彼らが巡業中に、4人バンドで演奏したのです。
「ペギー・スー」という曲は最初、ホリーの姪の名前から「シンディ・ルウ」というタイトルでしたが後に、クリケッツのドラマーだったジェリー・アリソンの妻の名前をとって「ペギー・スー」に改題されました。歌の内容は「お前がペギー・スーのことを知っているなら 、彼女がいなけりゃ僕がどんなに落ち込むか分かるだろう。本当にペギー・スーが好きなんだ」というもの。ドラムの軽快なビートで始まり、アコースティック全盛の時代に、エレキギターを抱えて歌う青春100%に若者はひかれた。
1959年2月、ホリーは飛行機でアイオワ州からミネソタ州へ移動中、吹雪のために墜落して、同乗していた2人のロックンローラーと共に死亡した。ザ・クリケッツと活動を再開する直前だったという。ジョージ・ルーカス監督の映画「アメリカン・グラフティ」の中には「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終った」という台詞があるという。しかし、ロックンロールはイギリスのバンドに生き続け、やがてアメリカに上陸するのです。「バス・ストップ」の曲で有名なザ・ホリーズは彼から名前をとったものです。
PMCから借りてきたアルバム「栄光のバディ・ホリー」には「ペギー・スー」の他、デビュー曲の「ザットル・ビー・ベイビー」、ポール・アンカが書き贈り、実質上の遺作となった「イット・ダズント・マター・エニモア」が収録されている。また、ホリーが事前にデモ録音していた曲に、彼の死後、ザ・クリケッツがオーバー・ダビングして完成させた「ペギー・スーの結婚」もある。本当に青春時代のロックンロールの血が騒ぐ一枚だった。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈32〉ザ・シーカーズの「愛の喜び」
2019年1月25日
君をすきになった私は愚か者なのだ
ザ・シーカーズをご存知でしょうか? 1962年(昭和37)にオーストラリアで結成された男性3人、女性1人のフォーク・グループです。翌年にイギリスに渡って活躍しました。「ジョージー・ガール」が代表曲です。解散した後、メンバーを募ってザ・ニューシーカーズとして「愛するハーモニー」をヒットさせていますが、基本的には別のグループでしょう。PMCからザ・シーカーズのレコード・アルバム「ベスト・フォーク・アルバム」を借りてきました。
聴いてみると、期待以上の13曲でした。中でも「愛の喜び」という曲が気になりました。どこかで聴いたような、という気がしてライナー・ノーツを取り出すとエルビス・プレスリーが1961年に発売したスロー・バラード「好きにならずにいられない」でした。それも、カヴァー曲ではなく、18~19世紀にかけて活躍したジャン・ポール・マルティーニが作曲したフランス生まれの原曲でした。プレスリーよりもスロー・テンポで歌っています。
FM-N1のパーソナリティ・ロイ・キヨタさんによると、「好きにならずにいられない」の歌詞は「賢者は言う 愚か者はあわてて行動に走ると でも 君を好きにならずにはいられない」で始まるという。君を好きになった私は愚か者なのである。まさに原題の「Can’t Help Falling Love」なのである。理性を忘れて、君をすきになることは罪なことなのか、とも歌っている。
「愛の喜び」の原詩は、「愛の喜びは一瞬しか続かない。別れの哀しみは生涯続く。私はスルヴィのために全てを捨てたが、彼女は他の男の元へ走った」という内容です。これは、恋に破れた男の悲しみを歌っています。プレスリーの曲とは違う気もしますが、シルヴィの心も見えず、我を忘れて恋に溺れた、という意味ではこちらも愚か者なのだろう。というか、愚か者にならなければ出来ないのが恋なのだろう。賢者に戻った時に、満足するか後悔するかは別の話である。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈31〉ナンシー・シナトラの「イチゴの片想い」
2019年1月22日
邦題で歌の甘さを演出、騙されたっていい中学生の頃
ナンシー・シナトラと言えばフランク・シナトラの娘というのは誰でも知っている。可愛いイメージで売り出し、後に「にくい貴方」で大人の女性シンガーに大変身する前の曲である。「イチゴの片想い」は原題が「Tonight You Belong To Me」で、訳せば「今宵、あなたは私のもの」という辺りだろうか。女の子の甘酸っぱい片想いとは、様相を異にしている。
ただ、鼻にかかったような声が甘酸っぱいのは間違いない。「私は、あなたが他の誰のものでもないのは分かっている。そう今夜、私のものになるのよ。銀色の月の光を浴びて」と積極的なのである。日本で初めて発売された彼女のアルバム「アイ・ラブ・ナンシー・シナトラ」にも収録されているが、このアルバムはフルーツの香りでむせ返るほどなのである。
10曲収められているが、「イチゴ」の他には、彼女の初の大ヒットとなった「レモンのキッス(Like I Do)」「リンゴのためいき(Think Of Me)」「フルーツ・カラーのお月さま(I See The Moon)」とA面、B面に2曲ずつ配されている。邦題は付いているが、どの曲も原題や歌詞にはフルーツの香りすらしないのである。
確か「イチゴの片想い」を聴いたのは中学生の頃だった。ラジオから聴くだけで、もちろん英語の歌詞も分からない。タイトルだけで思春期の血が燃え立っていたのかも知れない。しかし、よく考えれば片想いとは違うが、歌詞の内容の甘さを言い当てている。原題の英語を聞いたとしてもこんなにヒットすることはなかったかも… 邦題を付けた人の力量に感服しながら、よくぞ騙してくれた、と感謝したい。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈30〉ジェリー・ウォレスの「マンダム~男の世界」
2019年1月18日
男の世界が一転、女の世界も取り込む先見の明
「お洒落」という言葉とは無縁の世界で過ごし、古希に辿り着こうとしている。一度だけ整髪料に手を出したことがある。高校生になり、丸刈りから長髪に変わった頃であるが、面倒くさくて直ぐに止めた。資生堂の「MG5」というブランドだったと思う。しばらく後に、アメリカの俳優であるチャールズ・ブロンソンをCMに起用した「マンダム」が売り出された。製品よりもブロンソンによって強烈な衝撃を与えられた。
CM曲はジェリー・ウォレスが歌う「マンダム~男の世界(原題・Lovers Of The World)」だった。この曲は日本だけのヒット曲であり、ましてや歌手には興味がなかった。最近になって、ウォレスがカントリー歌手であることを知った。PMCで検索してみると、「男の世界」のシングル盤の他に2枚のLP盤が見つかった。2分足らずの曲だが「サムシング・スペシャル」などはいい感じだった。
FM-N1が開局した後の2000年前後だったろうか、ある番組で「マンダム」を取り上げていた。およそ30年ぶりに聴いたもので、懐かしさに浸っていると、やらかしてくれました。パーソナリティの一人が「ン(運)」を手放してしまったのか、「マダム」と曲紹介をしてしまいました。相方が「それじゃ女の世界になってしまうよ」と突っ込みを入れていた。国防における流行り言葉で言えば「cross domain(多次元横断)」である。
Webで調べると、「mandom(マンダム)」とは元々「Man Domain(男の領域)」という意味だったらしいが昭和55年(1984)、女性化粧品事業へも参入するため、マンダムの意味を「Human & Freedom」に変更していたらしい。化粧品会社に先見の明があったお陰で、パーソナリティの言い間違いの傷も少しは和らいでいるかもしれない。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈29〉ザ・デイヴ・クラーク・ファイブの「グラッド・オール・オーバー」
2019年1月15日
昔のブリティッシュ・ロックが聴けてラッキー!
私の少年時代、ラジオで聞いていたヒット・チャートはアメリカのチャートだったはずだが、ザ・ビートルズ、ザ・ハーマンズ・ハーミッツなどをはじめとしたイギリスのロックバンドが多かった。当時は不思議にも思わなかったが、それがブリティッシュ・インヴェイジョン(イギリスの侵略)と呼ばれる動きで、アメリカの音楽業界を席巻していた現象だった。
その中にザ・デイヴ・クラーク・ファイブもいた。何でもかんでも「リヴァプール・サウンズ」だと思い込んでいたが、彼らは出身地のロンドン下町の名前から「トトゥナム・サウンズ」と呼ばれていたことを、PMCから借りてきたアルバム「デイヴ・クラーク・ファイブ」のライナー・ノーツで初めて知った。
彼らの代表曲である「ビコーズ」ぐらいしか確かな記憶がなかったが、アルバムの良いところは、当時あまり注目されなかった楽曲も聞けるところにある。1曲目の「グラッド・オール・オーバー(原題:Glad All Over Again)」もそうで、これも大ヒット曲だと知った。ドラムとギターの特徴的な編成だがシャウトするような歌い方がリズムに乗り、いかにも1960年代半ばのイギリス、という雰囲気十分である。
原題では曲名の最後に「Again」が付いているところから「やり直せてラッキー!」と軽く訳せばよいのだろうか。アメリカのトランプ大統領の場合は同じAgainでも「Make America Great Again」だから、「軽く」という訳にはいかないのだろうが、これまで社会の光が当たっていなかった支持者の方は案外と「Glad All Over Again」と軽いノリで、「光が当たってラッキー!」と思っているのかもしれない。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈28〉ザ・キングストン・トリオの「スコッチ・アンド・ソーダー」
2019年1月11日
最初のハイ・ボールは昼間に飲んだ覚えがある
キングストン・トリオが1958年(昭和33)のデビュー・アルバムに収録された1曲です。スコッチ・アンド・ソーダとはハイ・ボールのことだそうです。私がハイ・ボールを最初に飲んだのは学生時代のことである。金沢・香林坊の一角にあったビルの地下にあった老舗の喫茶店だった。まだ日中、陽が高かったことを覚えている。
一つ年上の同級生と一緒で、お付き合いだったが、細長いグラスに細かい泡が立つ琥珀色の飲み物が運ばれてきた。味は覚えていないが、酒という感覚は無かった。店員も学生であろうことは身なりから分かっていた、と思うが、何も問われなかった。大学がまだ、金沢城跡の中にあり、学生が幅を利かせていた町であった。居酒屋風のパブが登場するのは1年後ぐらいだったろうか。
歌の中にはスコッチ・アンド・ソーダのほか、ドライ・マティニー、ジンが出てくる。すっかり酔って気持ちよくなった男が、女性を口説いている、という内容である。それを思えば最初のハイ・ボールは酔うことが目的ではなく、大人へと登る梯子の一段目に足を掛けたかったのかもしれない。
それから5、6年後、社会人になって、近くの酒場で飲んだくれるようになっていた。カウンターに陣取り、小説の中のジェームズ・ボンド気取りで、オリーブを浮かべたドライ・マティニーのカクテル・グラスを口に運んでいた。作ってくれたのは同期の大学7年生のアルバイト店員だった。アルコール依存症の自覚はあった。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈27〉レス・ポール&メリー・フォードの「モッキンバード・ヒル」
2019年1月8日
モッキンバードの高いさえずりに似合う歌声
今年も新年を迎え、早くも1週間が過ぎました。平成の過ぎた事どもより、来る新時代に身を任せてみたい。揺籃期の激動はあるかもしれないが、その先にある安寧を願いたい。そんな新年に聴きたくなる曲が「世界は日の出を待っている」です。ベニー・グッドマン楽団の演奏が秀逸ですが、好きなのはレス・ポール&メリー・フォードのバージョンです。PMCに「ヒッツ・オブ・レス・ポール&メリー・フォード」のアルバムを借りてきました。いつもながら切れの良いギターの響きです。
同じアルバムに「モッキンバード・ヒル」の曲も収められていました。こちらも様々なアーチストにカバーされていますがパティ・ペイジの歌唱が有名です。モッキンバードとはツグミの一種で「真似しツグミ」だそうです。歌詞は四行詩で、行の終りはhill(丘)、windowsill(窓敷居)、trill(ビブラート)、hill(丘)と「-l l」の脚韻を踏んでいます。コーラスの「トゥララ、トゥイーリリー、ディー、ディー」はモッキンバードの鳴き声を模したものです。
ウェブサイトにあった実際の鳴き声を聞いてみました。やや高い声のさえずりでした。どちらかと言うと、パティ・ペイジのハスキーな低音よりメリー・フォードの高い声質の方が、雰囲気があると思わせてくれます。モッキンバードが高いさえずりで丘全体を震わせているような朝の風景。新時代の安寧を歌っているようにも聴こえてきます。野鳥観察は趣味ではありませんが一度、その姿を見てみたいと思わせます。
ツグミは冬になると、大陸の寒さを避けて日本に渡ってきます。禁鳥で捕獲してはいけないことになっていますが、飲み屋さんでは出回っています。ツグミとは名乗れないので「シベリアスズメ」という変名を使います。が、地元でツグミと言えば、やはり陸上自衛隊の歌姫・鶫(つぐみ)真衣さん(金沢出身)でしょうか。ソプラノがモッキンバード・ヒルの歌に合う気がします。鶫さんがFM-N1のスタジオに来てくれてから、暫く日が経っています。
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
12月27日にFM-N1開局23周年記念特番~平成とFM-N1~
2018年12月26日
12月27日(木)
一部・午前10時15分~、二部・午後1時~、三部・午後4時~
FM-N1開局23周年特番「平成とFM-N1」 嶋健太郎、熊谷香里、中村圭佑、中島望、KIT WAVEプロジェクト
野々市市高橋町のメーンスタジオ「サミット」と金沢工大学園・白山麓キャンパス内にあるFM-N1第6スタジオ「シラヤマ」を結んで、三部構成、合計4時間を超える生放送です。FM-N1は平成7年に北陸で初めて開局したコミュニティ放送局で、23年の間、地域のリスナーと共に喜怒哀楽を共有し、一緒に歩んできました。一方、この間、音楽の楽しみ方、接し方も大きく、様々に変化してきました。平成が終わりを告げ、新しい時代を迎える今、ラジオが照らす未来は?、そして、果たす役割は? FM-N1でラジオ番組を制作しているWAVE プロジェクトの学生も総勢18名が参加し、FM-N1スタッフと一緒に番組を盛り上げます。