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2018年度の記事

PMCで見つけた〈50〉1910フルーツガム・カンパニーの「サイモン・セッズ」

2019年3月29日

ゲームを曲に、新番組「サイモン・セッズ “ジューク&ストンプ”」を開始

 

1960年代後半のアメリカで、バブルガム・ミュージックのブームがありました。明るい曲調のポップスで、プロのミュージシャン達が共同で曲作りを行い、バンドを集めて演奏させるスタイルでした。ザ・レモン・パイパーズやオハイオ・エクスプレスと並んで1910フルーツガム・カンパニーというロック・バンドもいました。

 

1910フルーツガム・カンパニーの名前の由来は分かりませんが、いかにも、音楽の職人達が製作した風船ガムや子供向けのフルーツ味の甘いガムのような楽曲を販売する会社、といったイメージが湧き上がってくるバンド名です。今回取り上げた「サイモン・セッズ」は、アメリカでは広く知られた子供の遊びです。ゲームの遊び方をそのまま曲に歌い込んだだけ、と言えば失礼かもしれませんが… ノベルティ・ソング(日本とのニュアンスは少し違いますがコミック・ソング)です。

 

遊びというのは、参加者の中からサイモン役を選び、サイモンが「サイモン・セッズ」と叫んだ後に仕草の支持を出し、その通りに身振り手振りをするという簡単なルールです。ただ時折、「サイモン・セッズ」を抜いて指示が出ることがあります。咄嗟(とっさ)に体を動かしてしまうと負けになります。日本でも坂本九の「幸せなら手をたたこう」がそうです。ステージでは正式の歌詞を突然変えて、客席が付いてこられるか楽しんでいたものです。

 

FM-N1では4月から、1階ホール「フィールド1」にジュークボックスを設置します。ニックネームは「サイモン(Simon)」としました。六つあるスタジオの名前の頭文字が全て「S」であることに倣いました。合わせて新番組「サイモン・セッズ ジューク&ストンプ」(金曜23:0024:00、再放送:土曜7:008:00)を開始します。サイモン・セッズの遊びのような構成を考えています。ジュークボックス全盛時の音楽をお届けできるのではないかと思います。

 

※「PMCで見つけた」は今後、不定期の掲載となります。

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈49〉ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」

2019年3月26日

落下傘スカートもいいけど、ピチピチ・ジーンズの女の子

 

ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ(原題:Be-Bop-A-Lula)」はロカビリーの名曲の一つでしょう。発表されたのが1956年(昭和31)で、世界はもとより日本でも多くのカバー曲が出されて耳馴染みの楽曲でもあります。なんとなく映画「アメリカン・グラフティ」をイメージしてしまい、ジューク・ボックスの前で、ポニー・テイルに落下傘スカートの女の子達と男の子達の踊る姿が湧いてくる。

 

歌詞の内容は、踊っている一人の女の子を指し、自分の彼女だ、と自慢している男の子を描いているようである。英語が苦手な私にとっても比較的簡単な単語が並んでいる。しかし、曲名になると、さっぱり意味がわからない。困った時は“山の神”ならぬFM-N1の“歌の神”、英語に詳しい番組パーソナリティのロイさんに尋ねてみた。

 

「それは言葉遊びですよ」。答えは簡単に返ってきた。「一語一語と言うより、いかした女の子。それもピチピチのジーパンが似合う女の子を指してビー・パップ・ア・ルーラと一連の言葉として使う」のだそうです。慣用句を覚えないと英語は分からない、ということです。答えは分かったものの、心の中で「何だ、落下傘スカートじゃなかったのか」舌打ちする自分がいた。

 

落下傘スカートは、下にペチコートを着けて膨らみを出すと同時に、スカートの衣擦れを少なくして、スカート自身が動きやすくなっている。曲に合わせて踊ると綺麗に動き出してポニー・テイルとの相乗効果でリズム感が生まれてくる。確かに歌詞の中には「赤いジーンズの女の子」と出てくるから逆らえない。FM-N14月から、ジューク・ボックスが設置される予定です。ニックネームは「サイモン」と名付けられました。誰かサイモンの前で踊ってくれないかな。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

ぼくサイモン。ジュークBOXです。ヨロシク!~FM-N1 4月から新番組が続々~

2019年3月23日

 4月1日からFM-N1の新番組が順次始まります。平成31年春は大幅改編です。月曜~金曜昼1時から1時間の新しいニュース番組が加わり、ジューク・ボックスやAI音声の新しい趣向の多彩な音楽番組も増えます。お楽しみください。

4月1日から月曜~金曜13:00~14:00「よろしく!スタジオ サミット」(木曜は「ようこそ!スタジオ シラヤマへ」) ・17:00~17:30「よろしく!スタジオ サンセット」

 FM-N1本社には5つのスタジオがあります。昼1時~2時のニュースは第1スタジオ「サミット」からお送りします。木曜日は金沢工業大学学園の白山麓キャンパスにある第6スタジオ「しらやま」と結んで、ゲストへのインタビューと地域の話題、交通情報などをお伝えします。夕方5時からは第4スタジオ「サンセット」からニュースなどをお伝えします。なお、月曜~金曜10:00~10:15は、従来のニュース枠に変わりませんが、「よろしく! スタジオ スウィング」と名前と内容を変えて、第2スタジオからお送りします。

4月1日から月曜~金曜7:00~8:00「リレキカコログ」

 スマホやパソコンに残った履歴を見ると、調べた記録とともにその時の記憶がよみがえってきます。昔聴いた音楽もしかり。あの時の光景や交わした言葉などが浮かんできます。平成に流れた曲をお楽しみください。20:00~21:00ほか再放送。ご案内はFM-N1の中島望。

4月1日から月曜13:30~14:00「ノンシャンのYeahって言え!」

 3月まで放送していた「レンとノンのnot wall music」がタイトルと内容、放送時間を変更して始まリます。パーソナリティはシンガー・ソングライターのnonchamp。スタジオから弾き語りでお送りします。月曜21:00~再放送。

4月1日から月曜17:30~18:00「Go!チャンネル」

 和装ピアニスト・山崎剛さんによる音楽&トーク番組。各地で即興演奏を披露している山崎さん。もちろんスタジオで弾き語りをしますが、軽妙なしゃべりも人気です。「乗ってくるとふるさとの小松弁が出てくるけど堪忍して」と言っています。土曜10:30~再放送。

4月2日から火曜17:30~18:00「課外授業の勧め」

 3月まで高校や高専の放送部が出演していた「ハイスクールDJ」がタイトル、放送時間を一新し、新しいパーソナリティが加わりました。第1週は金沢泉丘高校、第2週は金沢錦丘高校、第3週は国際高専ジェームス・テイラー先生、第4週は国際高専スティーブン・カレラ先生が出演します。それぞれ日曜9:00~、17:00~に再放送。

4月2日から火曜~金曜21:00~22:00「N1ファイル」・火曜「スクリーン再発見」・水曜「結婚式始末記」・木曜「男の振る舞い」・金曜「ママとパパがいる」

 火曜~金曜夜9時からは、映画や結婚・結婚式、マナーや男の料理、子育てなど、硬軟合わせた人生のテーマについて語ります。出演は谷口悦子とFM-N1・嶋健太郎。

4月2日から火曜~木曜23:00~24:00「エバの音楽探訪」・火曜「アロハの島々」・水曜「大地に吹く風」・木曜「愛する人はロング・ヘアー」

 FM-N1の多様な音源から洋楽をジャンル別に選んでお届けします。火曜はハワイアン、水曜はカントリーやフォークソング、木曜はマージー・ビートをはじめとしたイギリスのロックです。ご案内はAI音声のエバです。

4月5日から金曜23:00~24:00「サイモン・セッズ『ジューク&ストンプ』」

 FM-N1に新しい仲間が加わりました。ジューク・ボックスです。愛称はサイモン。1950~60年代を中心に、ジューク・ボックスを囲んで若者たちが踊ったりしていました。そんな時代の音楽を楽しんでください。出演はサイモンと熊谷香里、ドリバー、そしてAI音声のエバ、リバー高橋といった豪華(ユニーク?)な顔ぶれです。土曜7:00~再放送。

4月6日から土曜9:00~10:00「野鳥が好き歌が好き」

 日本野鳥の会石川の会員でもあるロイ・キヨタが身近で見る野鳥をお気に入りの曲をはさみながら語ります。”鳥仲間”も随時ゲスト出演。土曜19:00~再放送。

 このほか、金沢工業大学WAVEプロジェクトが制作するKITキャンパスWAVEの放送時間が1時間繰り上がって月曜~金曜18:00~19:00 (前半)、19:00~20:00(後半)に合計10番組が新しく始まるほか、KIT大家さんは見守り隊(月曜6:00~6:30)天使のわけまえ(木曜17:30~18:00)リングの女神たち(隔週木曜22:30~23:00)TUNE TO 180(金曜17:30~18:00)てくてく地球交差点(水曜14:00~14:30)The Hilltop(金曜14:00~14:30)などの放送時間が繰り上がります。詳しくは4月からの新しい番組表でご確認ください。

(梅岡和也)

PMCで見つけた〈48〉コニー・フランシスの「24000回のキッス」

2019年3月22日

歌っているのがイタリア語か英語なのかが気に掛かる

 

前回の「PMCで見つけた」はザ・クローヴァーズの「ノニ・コシ」を紹介しましたが、イタリア語もどきの歌で意味が不明、歌詞カードにも記載されていない話でした。ところで、イタリアと言えばカンツォーネですが、ロックンロールはないのかと調べてみました。すると意外な一枚が見つかりました。イタリア人の歌手、リトル・トニーの「24,000回のキッス」です。作曲したのもイタリアのキング・オブ・ロックと呼ばれるアドリアーノ・チェレンターノでした。

 

日本でも、平尾昌晃らが、昭和30年代のロカビリー・ブームの頃に歌われ、その後もゴールデン・ハーフが歌っていたのでカバー曲だとは知っていましたが、まさかイタリア産だとは驚きでした。トニーとチェレンターノは1961年(昭和36)のサンレモ音楽祭で歌って2位になったということで、世界的なカンツォーネ・ブームに乗って日本にも持ち込まれたのでしょう。世界の音楽を取り入れる日本の音楽業界の側面をみる思いでした。

 

PMCで検索をしてみましたがキーワードが多様なので閉口しました。「24000回のキッス」で6件、「24000回のキス」で1件、「24000のキッス」で3件、「24,000回のキッス」で5件、「24,000のキッス」で5件見つかりました。イタリア語の原題「24000Baci」は在りませんでしたが「24 Mila Baci」で2件。英語表記のタイトルではまだあるのかもしれませんが、正確な表記が分からないので諦めました。

 

ネットで調べていたらコニー・フランシスの「24 Mila Baci」があり、イタリア語で歌っていました。フランシスがイタリア系アメリカ人なので違和感はありませんでした。PMCにもフランシスの「24000回のキッス」が1枚ありました。シングル盤で「想い出の冬休み」のB面でしたが、果たして英語なのかイタリア語なのか、興味が湧きましたが今のところ、借りてきて聴く余裕がないのが残念です。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

卒業、おめでとうございます!

2019年3月21日

昨日、ここFM-N1も大賑わいでした!

 

 

というのも、金沢工業大学の卒業式の日だったから。。

天気は快晴!!素晴らしい~

 

 

 

 

 

 

 

 

南校地前の紅白の梅もお祝いしてます。

 

 

 

 

 

会場前は記念写真を撮ろうと順番待ち。

学生生活はこれで最後だもん、親御さんも感無量でしょうね・・・

 

 

 

 

卒業式のあとは、研究室に。

 

そしてその後、WAVEプロジェクトも卒業となるみんなが続々と集まって、後輩たちとガヤガヤ。

 

 

スーツ姿の男子に混じり、ひときわ華やかな袴姿の女子たち。

あ~卒業なんだなぁ。

おめでたいけど、ちょっぴり寂しい・・

 

 

 

今日からはそれぞれの道に進んでるんだな。

みんな頑張れっ!!

時には、ここFM-N1を思い出してね。

ちゃんと放送も聴いてね。

 

なにはともあれ、卒業おめでとうございます!

 

(なかにしみき)

 

 

 

 

PMCで見つけた〈47〉ザ・クローヴァーズの「ノニ・コシ」

2019年3月19日

不完全なイタリア語で歌うのはドゥ・ワップ? カンツォーネ?

 

ザ・クローヴァーズといえば1950年代を中心に活躍したアメリカのドゥ・ワップのグループで、世界のアーチストによってカバーされた「ラヴ・ポーション(Love PotionNo.9」のオリジナルを歌ったことでも知られています。PMCのデータを検索するとザ・クローヴァーズは11件ヒットするのですが、「ノニ・コシ」は1件しか該当曲がありませんでした。それはアルバム「ラヴ・ポーションNo.9」の中に収められていました。

 

ともかく、1曲目から順番に聞き流していましたが、12曲中の11曲目に「ノニ・コシ」がありました。男性コーラスが心地よいドゥ・ワップが続く中、突然にカンツォーネ風の曲調に変わりました。「ノニ・コシ」という英語にも思い当たりませんし、イタリア語のようにも聴こえます。当時のカンツォーネ・ブームもあって挿し込んだのかな、と一人合点をしました。

 

ともかく、ライナー・ノーツを見てみることに。当然、曲名はありましたが、なんと歌詞がないのです。代わりに「不完全なイタリア語で歌詞掲載は省略しました」と注釈がされています。つまり、イタリア語もどきで、語感はイタリア語であるが意味を成していない、ということなのだろうと推測しました。146秒の短い曲ですが、無性に惹き込まれるのです。

 

そう言えば昔、タレントのタモリが四カ国語麻雀という芸を披露していました。例えば中国、韓国、英語、フランス、ドイツなど四人がそれぞれの言語を話しながら麻雀をする、という設定でした。もちろん語感がそれらしく聞こえるだけで意味は全く通じません。そう言えば、日本人がカタカナ英語を話すのと同じなのかもしれません。英語圏の人達には通じないからです。これが芸の域まで達するのならどこかで使い道があるのかも知れませんが… え? やっぱり駄目ですか。残念。(宮崎正倫)

 

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PMCで見つけた〈46〉ザ・ルベッツの「シュガー・ベイビー・ラヴ」

2019年3月15日

デモテープ担当のバンドがレコードも出して大ヒット

 

イギリスで1974年に結成された6人組のバンド、ザ・ルベッツという名前は直ぐに思い出せなくても、彼らのデビュー曲「シュガー・ベイビー・ラヴ」なら覚えている、という方も多いのではないでしょうか。歌い出しのハイ・トーンに度肝を抜かれるのですが、世界的なヒットになったようで、一説には800万枚以上を売り上げたという。

 

実は、この「シュガー・ベイビー・ラヴ」はザ・ルベッツのために作られた曲ではありませんでした。録音用のデモテープを作るために集められたメンバーだったのです。彼らは、この曲が気にいったから自分達で演奏したい、とプロデューサーに懇願し、認められたのでした。ところが、臨時のメンバーであったため、特徴的な高音を出すヴォーカルのポール・ダ・ヴィンチは、別の会社と契約したため、レコード発売前にザ・ルベッツを脱退してしまうのです。

 

ところが件のプロデューサー氏は、ダ・ヴィンチの声がお気に入りで、レコードを再録音しないで、そのまま発売したのです。大ヒットになったわけですからプロデューサー氏の目に、いや、耳に狂いはなかった、ということになるのでしょう。ザ・ルベッツは音楽活動を一時中止しましたが、再結成して活動を再開したようですが、ヴォーカルのダ・ヴィンチは加わらなかったそうです。

 

日本でも、デモテープから大ヒットを記録した曲がありました。昭和41年(1966)、マイク真木の「バラが咲いた」です。ヒット・メーカーの浜口庫之助の作詞、作曲ですが、やはりデモテープの出来がよかったため、そのままマイク真木の録音でレコード発売ということになりました。結局、同曲はカレッジ・フォークという狭い世界から飛び出し、全国的にフォーク・ブームを生み出すことになります。これが他の歌手だったら、同じ現象が起きていたのか、疑問が解けない日々が続いています。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈45〉ピーター、ポール&マリーの「悲惨な戦争」

2019年3月12日

時代の感性が“反戦歌”に味付けしてしまった

 

北朝鮮の非核化問題を話し合う米朝首脳会談が、2月末、ヴェトナムのハノイで開催された。協議は決裂して、合意文書はまとめられなかった。それでも両者は、それぞれの正当性を主張する解釈をしながら、今回の決裂を一つの事実、通過点として今後も協議を継続することになるのだろう。そこに、解決しなければならない問題が横たわっている現実は避けようがないからです。

 

会談場所がハノイであったが昔、アメリカと北ヴェトナムが戦争をしたことを思えば、過去の歴史は新しい歴史に向かって進んでいることに感慨を覚える。当時、盛んに反戦歌として歌われた「悲惨な戦争(The Cruel War)」を思い出す。まだ高校生の頃で、反戦や戦争とは無関係に、ピーター、ポール&マリー(PPM)の曲を覚えようとしていた。哀愁を帯びた曲調は、それだけで日本人の心の襞をくすぐるからです。PMCには30枚のレコードがありました。

 

「悲惨な戦争」はアメリカのトラディショナル・フォークソングで、原曲に「The」の定冠詞が付いているから、具体的な戦争を指しているはずなのです。曲が出来た時期から言えば南北戦争、イギリスからの独立戦争が挙げられるのでしょう。しかし、それはヴェトナム戦争ではありません。恋人のジョニーが兵隊に行くことを悲しむ女性の歌です。男装をしてでも付いて行き、一緒に居たいと願う内容です。

 

国の独立を維持するために戦う中で生まれる悲しみを肯定するわけではありませんが、否定も出来ません。感情とは別次元の問題なのです。一緒に悲しみを癒していくしか途はないのでしょう。国内では、時代の感性が味付けをして、侵略戦争の色に染められていったのですが、実際はヴェトナムの植民地支配からの独立戦争ではなかったのでしょうか。原曲が持つ素顔に触れながら、米朝協議の新展開を見守りたい、そんな気がします。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈44〉ペギー・マーチの「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」

2019年3月8日

外国語の習得に失敗した悲惨な記憶がよみがえる

 

ペギー・マーチのアルバム「ペギー・マーチ・グランプリ」がPMCにあった。その中に彼女のNo.1ヒット曲ではないかと思う「アイ・ウィル・フォロー・ヒム(原題:I Will Follow Him)」があった。この曲は、個人的には、何かと昔の記憶と重なっている部分が多い。それが音楽の持つ魅力の一つであり、青春時代に聴いた曲をいつまでも大切にしていたい、という願いの根源なのかもしれない。金沢工業大学のPMCという場所は、単に物質的なレコードだけではなく、様々な人たちの人生も保管しているのかも…

 

「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」は1963年(昭和38)に全米1位を獲得しました。当時の年齢は16歳でしたが、デビューが14歳だったためにリトル・ペギー・マーチの名義を使用していた頃でした。ちなみに、PMCでリトル・ペギー・マーチを検索したところ、EP盤が3枚あっただけでした。私の個人的な記憶の中では、翌年に開催された東京五輪と重なるのです。開催前年ということで、盛り上がっていたからでしょうか。

 

もう一つの記憶は英語についてです。中学生になって習い始めた頃です。翌年にはザ・ビートルズの「アイル・フォロー・ザ・サン(原題:I’ll Follow The Sun)」が発売され、同じ表現に、英語ではこんな言い回しをするのか、と思いました。「アイ・ウィル・フォロー・ヒム」は、どこまでも彼の後をついて行く、という内容ですが、学校で習う英語のレベルでは歌詞を聞き取り、理解することはほとんど不可能でした。

 

それに較べると、ペギー・マーチのアルバムは英語で2曲、ドイツ語、イタリア語がそれぞれ1曲、10曲が日本語で歌謡曲をカバーしています。流暢な日本語で、ドイツ語、イタリア語もそれらしく聞こえるので正確な発音なのでしょう。私の場合は、英語も満足に分からず、第二外国語のドイツ語にいたっては日本語のレポートを提出して単位をいただくという悲惨さでした。本当に、外国語コンプレックスを思い出させてくれる曲です。(宮崎正倫)

 

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PMCで見つけた〈43〉リッキー・ネルソンの「10代のロマンス」

2019年3月5日

イギリスのロックンロールはこの曲から始まった

 

リッキー・ネルソンはイギリスのロックンローラーです。彼は1957年(昭和32)に「10代のロマンス(原題:A Teenager’s Romance)」という曲でデビューしました。21歳の時に発売したアルバム「Rick Is 21」から名前をリッキーからリックに変えています。最初、PMCでデビュー曲を探そうとしましたが、見つかりませんでした。通称の「ティーンエイジ・ロマンス」、「Teenage Romance」では該当がありません。原題表記で検索してもありません。別に邦題で「10代のロマンス」があると知り、オムニバスの中に2枚見つけました。

 

デビュー翌年の「プア・リトル・フール」で全米1位を獲得すると、「Rick Is 21」の中の「トラベリン・マン」「ハロー・メリールー」も全米1位となり、イギリスのロックンロールの草分けとなりました。この2曲は、いろいろな歌手によってカヴァーされていて、オリジナルがネルソンだとは意識されていないのではないでしょうか。デビュー時のどのアルバムを聴いても、どれもこれもロックンロールであふれかえっています。まさにロックとは気持ちのいい歌だと思わせてくれます。

 

イギリスのロックンロールにおいて、その名前を書かすことが出来ないクリフ・リチャードやザ・ビートルズをさて置いてネルソンが草分けだといいましたが、ザ・ビートルズのジョン・レノンを含めて3人は1940年(昭和15)の同い年生まれです。リチャードは1958年、ジョン・レノンは最初のバンド「クオリーメン」こそ1957年ですが、ザ・ビートルズとしては1962年(昭和37)まで待たなければなりません。

 

ネルソンは50年代以降には映画俳優としての活動も活発になり、60年代後半になるとカントリー・ミュージックに惹かれていき、次第にロックの世界とは距離を置いていきます。クリフ・リチャードやザ・ビートルズが全盛期を迎えていたことを思えば、ネルソンの記憶が薄れていったのかもしれません。1985年(昭和601231日、ネルソンはアメリカ・アラバマ州からテキサス州に向かっていた飛行機が事故を起こし、当時の婚約者、バンドメンバーと共に帰らぬ人となりました。ジョン・レノンの死から丸5年が経っていました。(宮崎正倫)

 

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