PMCで見つけた〈21〉ナット・キング・コールの「オー・タンネンバウム」
2018年12月7日
初めての曲と思ったらドイツ語で「もみの木」だった
FM-N1の長寿番組に「ブロークン・タイムマシン」がある。開始から20年が過ぎ、来春にはまた一つ年輪を刻むことになる。担当パーソナリティはロイ・キヨタさんで、昔は音楽業界の周辺の住人だったこともあり、音楽を伝える姿はまさに水を得た魚のようで、見ているだけで音楽が好きになってしまう。オールディーズを中心としたリクエスト番組だけに、レコード・ライブラリーのPMCとも親和性が高いと言える。
番組は、顔見知りではないものの、多くのリクエスターさん達がそれぞれ得意分野の曲を紹介し合いながら、一つのコミュニティを造り上げているようである。季節ごとにテーマを選びながら、選曲に知恵を傾ける姿も透けて見える。さる2日にはクリスマス特集もあった。歌手の顔ぶれがディーン・マーティン、アン・マレー、アンディ・ウィリアムス、ナナ・ムスクーリー、ナット・キング・コール、ビング・クロスビ-という錚々(そうそう)たるもの。
中でもナット・キング・コールの「オー・タンネンバウム(O Tannenbaum)」は初めて聞く曲名だった。ドイツ語らしいが、歌い出されると分かった。お馴染みの「もみの木」である。ちなみにPMCのデータ検索をしてみたが「タンネンバウム」では引っ掛からなかった。キヨタさんは「タンネンバウム」は日本語表記で、英語では「タネンバウム」だと言う。しかし、ナット・キング・コールの歌声を聴くと「タンネン」に聴こえるから、どちらが正しいとも言えない。
PMCのレコードを眺めていると、クリスマス・ソングというと大物と言われる歌手がやたらに目に付く。キヨタさんは「クリスマス・ソングはよく売れるんですよ。だからレコード会社はシーズンが来ると毎年のように新しい盤を作る」からと秘密を教えてくれた。しかし最近、アメリカでは「メリー・クリスマス」は禁句だという。多人種、宗教の問題らしい。神様同士が仲の良い日本では、「メリー・クリスマス」と快哉しよう。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈20〉ザ・スリー・ディグリーズの「荒野のならず者」
2018年12月4日
荒野を「あらの」と読む大学院生の清々しさ
先週の番組「KIT PMCレコード・ボックス」の中で、ザ・スリー・ディグリーズのアルバム「スリー・ディグリーズ」が紹介されていた。「ソウル・トレインのテーマ」から始まり12曲が収められている。大ヒット曲の「天使のささやき」「荒野のならず者」のほか、日本で限定発売されて日本語で歌っている「にがい涙」などお得感のする一枚です。
この番組は金沢工業大学の学生がPMCで制作し、FM-N1で放送している1時間枠のものです。月曜から~金曜までの午前5時~、午後3時~、深夜3時~の3回放送のほか土曜、日曜でも再放送をしています。学生の知らない時代の音楽を紹介するため、初々しい解説が楽しい、と視聴者の方からも応援する声が多く寄せられています。この回の担当者は建築科の大学院生でした。
収録した番組はPMCスタッフのチェックを受けますが、その中で「荒野のならず者」の曲紹介を最初は「あらのの・ならず者」としていたようです。早速訂正したのですが、どうして、このような間違いが起きたのか理由を聞いたそうです。返ってきた答えは想像の域を超えたものでした。「讃美歌では『荒野』を『あらの』と歌うんです」。
そうか、讃美歌が日本に入って来た頃、「こうや」という読み方はなく「あらの」というのが普通の日本語だったんだ、と思い知りました。「荒野のならず者」の原題は「Dirty Ol’ Man」というのですが、Dirtyとは正反対の清々しい気持にさせられました。私は「PMCで見つけた」のブログと並行して、野々市市の国史跡・末松廃寺のブログも書いていましたが題名は「石塊(いしくれ)の荒野(あらの)睨む白鳳の塔」としていましたが、何かホッとさせられました。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈19〉ディーン・マーティンの「ロバート・E・リーを待っている」
2018年11月30日
甘さ控えめ、ラグタイムに乗って軽快な歌声
ディーン・マーティンと言えば、酒に酔ったような甘い歌声で魅了する歌手だと思っていたが「ロバート・E・リーを待って」は少し趣を異にしていた。PMCで見つけたのは「SWINGIN’ DOWN YONDER」というアルバムだった。収録12曲は1920年代のヒット・ソングばかりらしいが、ディック・ステイビルのディキシー・キャッツの演奏で、1955年(昭和30)の録音である。
ディキシーランド・ジャズとは、ミシシッピー川の河口の町ニューオリンズで、南北戦争の後に放棄された軍楽隊の楽器が黒人たちの手に渡り、演奏が始められたジャズの原型である。バンジョーの音とコルネットやトロンボーン、バス、クラリネットが特徴的だ。が、バンドスタイルの演奏はあっても、バンド演奏で歌うスタイルは余り聞いたことがない。それだけ、このアルバムは新鮮な気分にさせてくれる。
「ロバート・E・リー」とはミシシッピー川を運行する船名だが、外輪船だったのだろう。曲の所々に汽笛を思わせる演奏が入ってくる。低音のバスが、聴く者を腹の底から揺さぶるような金管のラグタイムがなんとも心地よい。この船には誰が乗ってくるのだろう。川の堤まで、心を弾ませて出迎えるほどの人に違いないのだろう。
レコード収録をしたのはマーティンが38歳の時で、コメディ映画で大うけしたジェリー・ルイスとの“底抜けコンビ”を解消する2年前のことである。ソロ活動をするようになってからはジャズ歌手として、そしてポップスも歌いこなした。仲の良かったフランク・シナトラとは違って、肩の力を抜いて楽しそうに歌うジャズだった。テレビで見るしか方法がなかった頃だが、拝聴させていただく、という感じのアンディー・ウィリアムスより好きだった。
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈18〉ダニー・デイビスとナッシュビル・ブラスの「マウンテン・デュー」
2018年11月27日
アパラチア山脈に住み着いた移民の密造酒
演奏の出だしは軽快なバンジョーから始まり、コルネットが加わる。てウッド・ベースがリズムを刻む中、スキャットがつないでトロンボーンがメロディーを奏でる。2分20秒ほどの曲だがカントリーらしい心地よさが後に残ります。PMCで探しても15曲ほどしか見当たらないナッシュビル・ブラスの演奏です。
デューは「dew」は「露」の意味ですが、「マウンテン・デュー」は密造酒の事だそうです。何か甘い炭酸飲料を想像してしまいましたが、全然違っていました。この曲はアメリカ・アパラチア山脈に伝わる古いフォークソングを基にしています。地図を眺めると、東海岸と中央部の大平原を分けるのが同山脈です。歴史的にはイギリスからの移民が西部の土地を目指して進んだのがアパラチア越えの道です。
馬車に乗り、あるいは徒歩の家族連れが越えるには険しい道程でした。西部の新天地を諦めて、山間で定住する人達もいました。この後、ニューヨークのハドソン川から五大湖につながるエリー運河が完成して、西部に向かうには水運を利用してシカゴに向かうのが幹線となりました。その先は「ルート66」が西海岸まで伸びます。
つまり、アパラチア山脈越えは裏街道となり、定住した人達は大躍動するアメリカの歴史から取り残された格好になり、反対にイギリスの古い文化、伝統を残していくことになったのです。密造酒と聞けば、利益を目的とした行為と思いがちですが、山奥に築かれたコミュニティで供された地酒なのでした。マウンテン・デューを飲むとき、人々は新天地に辿り着けなかった悔やみの苦い酒になったのか、はたまた、この地を桃源郷と思い定めて酔いしれたのか、私には分かりません。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈17〉ザ・シュレルズの「ベイビー・イッツ・ユー」
2018年11月23日
これでは「シューパーマン」になってしまう
ザ・ビートルズの初期の楽曲が好きだ。それは、彼らがライヴ演奏でアメリカのR&Bやロックンロールをカバーしていたものだ。だから次第にアメリカのロックンロールが体に染みついてしまった。ビートルズがイギリスで最初に発売したアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー」の中には14曲中に6曲が含まれている。その中の1曲に「ベイビー・イッツ・ユー」がある。
オリジナルはアメリカのガールズ・グループのザ・シュレルズ(The Shirells)である。この曲は彼女らの代表曲でもある。が、ここでグループ名の綴りをみてほしい。普通にカタカナ読みをすれば「シレルズ」になってしまう。PMCのデータを検索すれば「シュレルズ」で9件、「シレルズ」で6件が該当した。これは日本発売に当たってレコード会社がジャケットやライナー・ノーツに書いているので、公式な読み方になるのでしょう。が両方とも正解であれば戸惑ってしまう。英語らしさを感覚的に捉えて「シュ」としたのだろうか。
同じことが、「愛はどこへ行ったの」「ベイビー・ラブ」で有名なグループのザ・シュープリームス(The Supremes)にも言える。素直には「シュープリームス」とは読めないのである。英語に近い発音では「スプリームズ」なのである。語尾も「ス」ではなく「ズ」である。FM-N1では原則カタカナで紹介する、としているので、難しい選択になる。
そこへ、番組パーソナリティのロイ・キヨタさんがひと言。「それでは空を飛ぶ人はシューパーマン」になってしまう」。アメリカの活劇ヒーロー「スーパーマン(Superman)」のことである。形にとらわれない融通無碍(ゆうずうむげ)が日本人の特徴であるならば、ここは、私も日本人らしく問題を先送りにしてしまおうか。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈16〉ハンク・ウィリアムズの「カウ・ライジャ」
2018年11月20日
先住アメリカンの太鼓の響きが物語の幕を開ける
先日、久しぶりにクリント・イーストウッドが出演しているマカロニ・ウェスタンを観た。古い西部劇では正義の味方だった騎兵隊もなかなかの悪ぞろいだったりするようになった。敵役だったインディアンも主役級となって正義の味方に肩を並べるまでになり、呼び方も先住アメリカンに変わってきた。私達も戸惑いながらも新しい呼び名に慣れてきた。
ただ、古い西部劇の筋書きや、古いウェスタン・ソングの歌詞などは変えることができない。歴史的な作品としてとらえるしかないのが実情だ。その中の一つにハンク・ウィリアムズの「カウ・ライジャ」ある。曲の始まりは、先住アメリカンの太鼓の音がリズムを刻み、歌詞の出だしは「Kaw-liga was wooden Indian standing by the door.」で、思いっきり木彫りのインディアンとある。
物語は観光地の土産物店の前に飾られた木彫りのインディアン人形が、通りを挟んだ店の前に飾られた女性の木彫り人形に恋をした、というもの。もちろん、近寄ることも、話しかけることも、相手の返事を聞くこともできない。そのうち、観光客が来て、女性の方の人形を買っていった。カウ・ライジャはただ立ち尽くして古い松の木になってしまった。
悲しいカウ・ライジャのレコードはPMCに、カバーされた邦楽も含めて35件があった。売れ残った土産物も悲しいが、家に持ち帰ったのはいいが、押し入れの隅に押し込まれて忘れ去られるのも儚い運命である。我が家に多いのは安物の壺と、馬の民具と置物。北海道で求めた革製の馬のキーホルダーは20年以上も使っている。ただ、鮭をくわえた熊の置物は玄関にも何処にもない。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈15〉シルヴィ・バルタンとジョニー・アリデイの「トワ・エ・モア」
2018年11月16日
売れっ子同士が夫婦に、15年間の「あなたと私」
日本にトワ・エ・モアという名の男女デュオがいました。芥川澄夫と土室(現・白鳥)英美子です。美しいハーモニーが特徴的で、デビュー曲の「或る日突然」が大ヒット。以後も「誰もいない海」「初恋の人に似ている」「虹と雪のバラード」など数々のメロディーを歌い上げ、心の中にしっかりと刻み付けました。この時、初めて「トア・エ・モア」とはフランス語で「あなたと私」の意味であると知りました。
日本の芸能界では起こりがちな、と私は思っているのですが、いつしか夫婦になってしまう例もありますが、この二人は、昭和44年(1969)~同48年(1973)まで活動した後、デュオを解散してしまいました。後は、それぞれ別の道を歩み始めたことに、なかなかの好感を覚えていました。平成10年(1998)からは、トア・エ・モアとしての活動も再開しているようです。
ある日、突然の事ですが、PMCの資料を見ていて、「トワ・エ・モア」という曲名のレコードを見つけました。当然のようにフランス人歌手のデュエットです。それが、シルヴィ・バルタンとジョニー・アリデイのものでした。バルタンは「アイドルを探せ」のヒット曲がありますが文字通り、私のアイドルでしたが、アリデイはNo.1ロックン・ローラでバルタンの元夫(1965~1980)だったと初めて知りました。
曲の方の「トア・エ・モア」は夫婦当時の二人が録音したもので、軽やかで、力強く、楽し気な「あなたと私に」に仕上がっていました。フランス語のため歌詞の意味は分かりませんが、こう言うと大向こうから「英語なら分かるのか!」と声が掛かりそうですが、どちらも分かりません。が、夫婦もいいな、と思わせられました。日本の「あなたと私」は夫婦でないが故に、綺麗なハーモニーに特化していったのかもしれません。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈14〉ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影」
2018年11月13日
曲名を「まだ真の姿を知らない」に変えてみた
FM-N1のホームページが10月から新しくなりました。今、お読みいただいているブログを再開したほか、各番組で使われた楽曲のプレイ・リストをご覧いただくことも出来るようになりました。スマホからの視聴でも、アプリを介さずに直接番組につながるようになりました。音声と一緒に画像も配信していますが従来よりも、鮮明に滑らかにご覧いただけています。これも、サーバーをクラウド(Cloud)に移したためです。
クラウドと簡単に言っていますが、私の理解力からはみ出た代物です。実は今、もう一つの「Cloud」でも頭を痛めています。カナダのフォーク歌手ジョニ・ミッチェルの「青春の光と影です(邦題)」。この歌は、これまで、ジュディー・コリンズの作品だと思っていましたが、ミッチェルの方が原曲でした。ミッチェルのレコードをPMCで探すと、3枚ありました。
そこで、何が「Cloud」か、というと同名のアルバムが「Cloud」で、収録されている同名曲の原題が「Both Sides, Now」というのです。邦題を付ける際に双方とも「青春の光と影」にしたようです。この曲名は、日本人の心をくすぐる所がありますが、作品の内容とは違うような気がするのです。先入観念をもって歌詞を読むと、余り意味が通じなくなって混乱するからです。
歌詞の和訳全文は、ここではご紹介できませんが番組パーソナリティのロイ・キヨタさんを頼りにすると、青春というより人生の歌のようなのです。最初にCloudに触れ、恋、人生へと展開していきます。ぼんやりとイメージしていた物にも裏と表、陰と陽のように二面性がある。それでも私には本当の姿が分からない、というような内容です。言外に、二面性ではなく中心を見ていないと訴えているようです。敢えて邦題を付けるなら「まだ真の姿を知らない」辺りでしょうか。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈13〉チャーリー・プライドの「テネシー・ガール」
2018年11月9日
アフリカ系アメリカ人が歌う甘酸っぱいカントリー・ミュージック
これまで余り触れたことがないカントリーを聴こうと、PMCからチャーリー・プライドのアルバム「リバー・ソング」を借りてきた。まず、最初に驚かされたのは、レコード・ジャケットは少し色褪せていたものの、確かにアフリカ系アメリカ人の顔立ちだった。カントリー・ソングと言えば典型的なヨーロッパ系アメリカ人の音楽だという先入観念があったからである。
彼の経歴を見ると1938年(昭和13)にミシシッピー州のスレッジ生まれとある。ミシシッピー川はアメリカ音楽の川でもある。河口のニューオーリンズは南北戦争の後、ジャズが発祥した地であり、中流のメンフィスではブルース、ソウル、ロックンロールが生まれ、ナッシュビルはカントリー・ミュージックの地である。
例えば、エルヴィス・プレスリーはこんな環境の中でカントリーだけでなくブルースや、ゴスペルを聴いたように、チャーリー・プライドもカントリーを聴いて育ったのである。第13回グラミー賞で、最優秀カントリー男性歌手賞を受けているのもうなづけるのである。カントリーチャートでは30曲ほどが1位を記録しているという。
1973年に発売された同アルバムのお気に入りは「テネシー・ガール」だった。旅に出た男が生まれ故郷のテネシーが恋しくなり、恋人の待つテネシーに帰るという、胸に甘酸っぱさがこみあげてくる1曲である。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈12〉ジ・エイムス・ブラザーズの「プッシー・キャット」
2018年11月6日
寄贈されたレコードを初めて3回クリーニングした
私達が放送で使用する大部分の楽曲は、PMC所蔵のレコードを利用させてもらっている。24万5千枚を所蔵しているとはいえ、欲しい曲が全て揃う訳ではありません。今回紹介するジ・エイムス・ブラザーズの「プッシー・キャット」は初めて寄贈された楽曲でした。PMCの職員が前々から探していた1枚だそうです。
送られてきたEP盤を整理していて、偶然に見つけたそうです。ジ・エイムス・ブラザーズは1948年に、アメリカのマサチューセッツ州で結成された男性4人のコーラス・グループです。PMCには同グループのレコードは1枚もありませんでした。FM-N1の音楽サーバーには、多分CDから落としたと思われる4曲がありましたが、同曲はありませんでした。
しかし、よくも見つけ出したものだ、と感心します。他の職員の手に掛かっていたら素通りしたに違いありません。寄贈されたレコードは分類の後、コードを振られて登録に回されて行きますが順番待ちをしている盤が多く、「プッシー・キャット」が一般に公開されるのは数年後になる可能性もあるとか。
もともと、ポピュラー・ミュージックは消耗品の性格があり、寄贈されたものの保存状態が万全と言えないものもあります。好きな曲を聴きこんだ跡があるからです。今度のレコードも埃をかぶっていたそうですが、裏を返せば、愛着が深い分だけ手放せなかった、とも言えます。見つけ出した職員は、専用のクリーニング器などで3回磨いたそうです。音を聞かせてもらいましたが、新品と遜色ないメロディーが流れてきました。
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。