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PMCで見つけた〈50〉1910フルーツガム・カンパニーの「サイモン・セッズ」

2019年3月29日

ゲームを曲に、新番組「サイモン・セッズ “ジューク&ストンプ”」を開始

 

1960年代後半のアメリカで、バブルガム・ミュージックのブームがありました。明るい曲調のポップスで、プロのミュージシャン達が共同で曲作りを行い、バンドを集めて演奏させるスタイルでした。ザ・レモン・パイパーズやオハイオ・エクスプレスと並んで1910フルーツガム・カンパニーというロック・バンドもいました。

 

1910フルーツガム・カンパニーの名前の由来は分かりませんが、いかにも、音楽の職人達が製作した風船ガムや子供向けのフルーツ味の甘いガムのような楽曲を販売する会社、といったイメージが湧き上がってくるバンド名です。今回取り上げた「サイモン・セッズ」は、アメリカでは広く知られた子供の遊びです。ゲームの遊び方をそのまま曲に歌い込んだだけ、と言えば失礼かもしれませんが… ノベルティ・ソング(日本とのニュアンスは少し違いますがコミック・ソング)です。

 

遊びというのは、参加者の中からサイモン役を選び、サイモンが「サイモン・セッズ」と叫んだ後に仕草の支持を出し、その通りに身振り手振りをするという簡単なルールです。ただ時折、「サイモン・セッズ」を抜いて指示が出ることがあります。咄嗟(とっさ)に体を動かしてしまうと負けになります。日本でも坂本九の「幸せなら手をたたこう」がそうです。ステージでは正式の歌詞を突然変えて、客席が付いてこられるか楽しんでいたものです。

 

FM-N1では4月から、1階ホール「フィールド1」にジュークボックスを設置します。ニックネームは「サイモン(Simon)」としました。六つあるスタジオの名前の頭文字が全て「S」であることに倣いました。合わせて新番組「サイモン・セッズ ジューク&ストンプ」(金曜23:0024:00、再放送:土曜7:008:00)を開始します。サイモン・セッズの遊びのような構成を考えています。ジュークボックス全盛時の音楽をお届けできるのではないかと思います。

 

※「PMCで見つけた」は今後、不定期の掲載となります。

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈49〉ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ」

2019年3月26日

落下傘スカートもいいけど、ピチピチ・ジーンズの女の子

 

ジーン・ヴィンセントの「ビー・バップ・ア・ルーラ(原題:Be-Bop-A-Lula)」はロカビリーの名曲の一つでしょう。発表されたのが1956年(昭和31)で、世界はもとより日本でも多くのカバー曲が出されて耳馴染みの楽曲でもあります。なんとなく映画「アメリカン・グラフティ」をイメージしてしまい、ジューク・ボックスの前で、ポニー・テイルに落下傘スカートの女の子達と男の子達の踊る姿が湧いてくる。

 

歌詞の内容は、踊っている一人の女の子を指し、自分の彼女だ、と自慢している男の子を描いているようである。英語が苦手な私にとっても比較的簡単な単語が並んでいる。しかし、曲名になると、さっぱり意味がわからない。困った時は“山の神”ならぬFM-N1の“歌の神”、英語に詳しい番組パーソナリティのロイさんに尋ねてみた。

 

「それは言葉遊びですよ」。答えは簡単に返ってきた。「一語一語と言うより、いかした女の子。それもピチピチのジーパンが似合う女の子を指してビー・パップ・ア・ルーラと一連の言葉として使う」のだそうです。慣用句を覚えないと英語は分からない、ということです。答えは分かったものの、心の中で「何だ、落下傘スカートじゃなかったのか」舌打ちする自分がいた。

 

落下傘スカートは、下にペチコートを着けて膨らみを出すと同時に、スカートの衣擦れを少なくして、スカート自身が動きやすくなっている。曲に合わせて踊ると綺麗に動き出してポニー・テイルとの相乗効果でリズム感が生まれてくる。確かに歌詞の中には「赤いジーンズの女の子」と出てくるから逆らえない。FM-N14月から、ジューク・ボックスが設置される予定です。ニックネームは「サイモン」と名付けられました。誰かサイモンの前で踊ってくれないかな。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈48〉コニー・フランシスの「24000回のキッス」

2019年3月22日

歌っているのがイタリア語か英語なのかが気に掛かる

 

前回の「PMCで見つけた」はザ・クローヴァーズの「ノニ・コシ」を紹介しましたが、イタリア語もどきの歌で意味が不明、歌詞カードにも記載されていない話でした。ところで、イタリアと言えばカンツォーネですが、ロックンロールはないのかと調べてみました。すると意外な一枚が見つかりました。イタリア人の歌手、リトル・トニーの「24,000回のキッス」です。作曲したのもイタリアのキング・オブ・ロックと呼ばれるアドリアーノ・チェレンターノでした。

 

日本でも、平尾昌晃らが、昭和30年代のロカビリー・ブームの頃に歌われ、その後もゴールデン・ハーフが歌っていたのでカバー曲だとは知っていましたが、まさかイタリア産だとは驚きでした。トニーとチェレンターノは1961年(昭和36)のサンレモ音楽祭で歌って2位になったということで、世界的なカンツォーネ・ブームに乗って日本にも持ち込まれたのでしょう。世界の音楽を取り入れる日本の音楽業界の側面をみる思いでした。

 

PMCで検索をしてみましたがキーワードが多様なので閉口しました。「24000回のキッス」で6件、「24000回のキス」で1件、「24000のキッス」で3件、「24,000回のキッス」で5件、「24,000のキッス」で5件見つかりました。イタリア語の原題「24000Baci」は在りませんでしたが「24 Mila Baci」で2件。英語表記のタイトルではまだあるのかもしれませんが、正確な表記が分からないので諦めました。

 

ネットで調べていたらコニー・フランシスの「24 Mila Baci」があり、イタリア語で歌っていました。フランシスがイタリア系アメリカ人なので違和感はありませんでした。PMCにもフランシスの「24000回のキッス」が1枚ありました。シングル盤で「想い出の冬休み」のB面でしたが、果たして英語なのかイタリア語なのか、興味が湧きましたが今のところ、借りてきて聴く余裕がないのが残念です。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈47〉ザ・クローヴァーズの「ノニ・コシ」

2019年3月19日

不完全なイタリア語で歌うのはドゥ・ワップ? カンツォーネ?

 

ザ・クローヴァーズといえば1950年代を中心に活躍したアメリカのドゥ・ワップのグループで、世界のアーチストによってカバーされた「ラヴ・ポーション(Love PotionNo.9」のオリジナルを歌ったことでも知られています。PMCのデータを検索するとザ・クローヴァーズは11件ヒットするのですが、「ノニ・コシ」は1件しか該当曲がありませんでした。それはアルバム「ラヴ・ポーションNo.9」の中に収められていました。

 

ともかく、1曲目から順番に聞き流していましたが、12曲中の11曲目に「ノニ・コシ」がありました。男性コーラスが心地よいドゥ・ワップが続く中、突然にカンツォーネ風の曲調に変わりました。「ノニ・コシ」という英語にも思い当たりませんし、イタリア語のようにも聴こえます。当時のカンツォーネ・ブームもあって挿し込んだのかな、と一人合点をしました。

 

ともかく、ライナー・ノーツを見てみることに。当然、曲名はありましたが、なんと歌詞がないのです。代わりに「不完全なイタリア語で歌詞掲載は省略しました」と注釈がされています。つまり、イタリア語もどきで、語感はイタリア語であるが意味を成していない、ということなのだろうと推測しました。146秒の短い曲ですが、無性に惹き込まれるのです。

 

そう言えば昔、タレントのタモリが四カ国語麻雀という芸を披露していました。例えば中国、韓国、英語、フランス、ドイツなど四人がそれぞれの言語を話しながら麻雀をする、という設定でした。もちろん語感がそれらしく聞こえるだけで意味は全く通じません。そう言えば、日本人がカタカナ英語を話すのと同じなのかもしれません。英語圏の人達には通じないからです。これが芸の域まで達するのならどこかで使い道があるのかも知れませんが… え? やっぱり駄目ですか。残念。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈46〉ザ・ルベッツの「シュガー・ベイビー・ラヴ」

2019年3月15日

デモテープ担当のバンドがレコードも出して大ヒット

 

イギリスで1974年に結成された6人組のバンド、ザ・ルベッツという名前は直ぐに思い出せなくても、彼らのデビュー曲「シュガー・ベイビー・ラヴ」なら覚えている、という方も多いのではないでしょうか。歌い出しのハイ・トーンに度肝を抜かれるのですが、世界的なヒットになったようで、一説には800万枚以上を売り上げたという。

 

実は、この「シュガー・ベイビー・ラヴ」はザ・ルベッツのために作られた曲ではありませんでした。録音用のデモテープを作るために集められたメンバーだったのです。彼らは、この曲が気にいったから自分達で演奏したい、とプロデューサーに懇願し、認められたのでした。ところが、臨時のメンバーであったため、特徴的な高音を出すヴォーカルのポール・ダ・ヴィンチは、別の会社と契約したため、レコード発売前にザ・ルベッツを脱退してしまうのです。

 

ところが件のプロデューサー氏は、ダ・ヴィンチの声がお気に入りで、レコードを再録音しないで、そのまま発売したのです。大ヒットになったわけですからプロデューサー氏の目に、いや、耳に狂いはなかった、ということになるのでしょう。ザ・ルベッツは音楽活動を一時中止しましたが、再結成して活動を再開したようですが、ヴォーカルのダ・ヴィンチは加わらなかったそうです。

 

日本でも、デモテープから大ヒットを記録した曲がありました。昭和41年(1966)、マイク真木の「バラが咲いた」です。ヒット・メーカーの浜口庫之助の作詞、作曲ですが、やはりデモテープの出来がよかったため、そのままマイク真木の録音でレコード発売ということになりました。結局、同曲はカレッジ・フォークという狭い世界から飛び出し、全国的にフォーク・ブームを生み出すことになります。これが他の歌手だったら、同じ現象が起きていたのか、疑問が解けない日々が続いています。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈45〉ピーター、ポール&マリーの「悲惨な戦争」

2019年3月12日

時代の感性が“反戦歌”に味付けしてしまった

 

北朝鮮の非核化問題を話し合う米朝首脳会談が、2月末、ヴェトナムのハノイで開催された。協議は決裂して、合意文書はまとめられなかった。それでも両者は、それぞれの正当性を主張する解釈をしながら、今回の決裂を一つの事実、通過点として今後も協議を継続することになるのだろう。そこに、解決しなければならない問題が横たわっている現実は避けようがないからです。

 

会談場所がハノイであったが昔、アメリカと北ヴェトナムが戦争をしたことを思えば、過去の歴史は新しい歴史に向かって進んでいることに感慨を覚える。当時、盛んに反戦歌として歌われた「悲惨な戦争(The Cruel War)」を思い出す。まだ高校生の頃で、反戦や戦争とは無関係に、ピーター、ポール&マリー(PPM)の曲を覚えようとしていた。哀愁を帯びた曲調は、それだけで日本人の心の襞をくすぐるからです。PMCには30枚のレコードがありました。

 

「悲惨な戦争」はアメリカのトラディショナル・フォークソングで、原曲に「The」の定冠詞が付いているから、具体的な戦争を指しているはずなのです。曲が出来た時期から言えば南北戦争、イギリスからの独立戦争が挙げられるのでしょう。しかし、それはヴェトナム戦争ではありません。恋人のジョニーが兵隊に行くことを悲しむ女性の歌です。男装をしてでも付いて行き、一緒に居たいと願う内容です。

 

国の独立を維持するために戦う中で生まれる悲しみを肯定するわけではありませんが、否定も出来ません。感情とは別次元の問題なのです。一緒に悲しみを癒していくしか途はないのでしょう。国内では、時代の感性が味付けをして、侵略戦争の色に染められていったのですが、実際はヴェトナムの植民地支配からの独立戦争ではなかったのでしょうか。原曲が持つ素顔に触れながら、米朝協議の新展開を見守りたい、そんな気がします。(宮崎正倫)

 

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PMCで見つけた〈43〉リッキー・ネルソンの「10代のロマンス」

2019年3月5日

イギリスのロックンロールはこの曲から始まった

 

リッキー・ネルソンはイギリスのロックンローラーです。彼は1957年(昭和32)に「10代のロマンス(原題:A Teenager’s Romance)」という曲でデビューしました。21歳の時に発売したアルバム「Rick Is 21」から名前をリッキーからリックに変えています。最初、PMCでデビュー曲を探そうとしましたが、見つかりませんでした。通称の「ティーンエイジ・ロマンス」、「Teenage Romance」では該当がありません。原題表記で検索してもありません。別に邦題で「10代のロマンス」があると知り、オムニバスの中に2枚見つけました。

 

デビュー翌年の「プア・リトル・フール」で全米1位を獲得すると、「Rick Is 21」の中の「トラベリン・マン」「ハロー・メリールー」も全米1位となり、イギリスのロックンロールの草分けとなりました。この2曲は、いろいろな歌手によってカヴァーされていて、オリジナルがネルソンだとは意識されていないのではないでしょうか。デビュー時のどのアルバムを聴いても、どれもこれもロックンロールであふれかえっています。まさにロックとは気持ちのいい歌だと思わせてくれます。

 

イギリスのロックンロールにおいて、その名前を書かすことが出来ないクリフ・リチャードやザ・ビートルズをさて置いてネルソンが草分けだといいましたが、ザ・ビートルズのジョン・レノンを含めて3人は1940年(昭和15)の同い年生まれです。リチャードは1958年、ジョン・レノンは最初のバンド「クオリーメン」こそ1957年ですが、ザ・ビートルズとしては1962年(昭和37)まで待たなければなりません。

 

ネルソンは50年代以降には映画俳優としての活動も活発になり、60年代後半になるとカントリー・ミュージックに惹かれていき、次第にロックの世界とは距離を置いていきます。クリフ・リチャードやザ・ビートルズが全盛期を迎えていたことを思えば、ネルソンの記憶が薄れていったのかもしれません。1985年(昭和601231日、ネルソンはアメリカ・アラバマ州からテキサス州に向かっていた飛行機が事故を起こし、当時の婚約者、バンドメンバーと共に帰らぬ人となりました。ジョン・レノンの死から丸5年が経っていました。(宮崎正倫)

 

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PMCで見つけた〈42〉リン・アンダーソンの「ロッキー・トップ」

2019年3月1日

南北戦争に由来したテネシー大アメフト・チームの応援歌

 

前回の「PMCで見つけた」はボビー・トループの「野球につれて行って」を紹介しました。野球のメイジャー・リーグの試合でセブンス・イニング・ストレッチと呼ばれる7回裏に、ファンが立ち上がって歌う応援歌でした。今回は、アメリカでは野球よりも人気が高いと言われるアメリカン・フットボールの試合で歌われる応援歌を、PMCのレコードの中から見つけました。

 

リン・アンダーソンの「ロッキー・トップ」です。リン・アンダーソンと言えば「ローズ・ガーデン」で知られるカントリー歌手ですが、日本で想像する以上の大物歌手です。その曲は「アット・ホーム・ウィズ・リン・アンダーソン」というアルバムの中にありました。最初はロッキー山脈の頂上かな? とも思いましたが、それなら「サミット」ではないかと疑問が湧き調べてみることにしました。

 

元々は、ジ・オズボーン・ブラザーズのブルーグラスの曲であることが分かりました。楽曲の冒頭からバンジョーの音色が響き渡っていることも納得がいきました。テネシー州立のテネシー大学のアメリカン・フットボール・チーム「ヴォランティアズ(通称:VOLS)」の応援歌なのだそうです。プロ・チームの試合しかテレビでは見たことがありませんが、学生の試合も大変な盛り上がりをみせ、応援歌が大声で歌われるそうです。

 

話は元に戻りますが、それでは「ロッキー・トップ」とは何だったのか、ということです。テネシー大はテネシー川沿いの都市・ノックスビルにあります。同大もテネシー川のほとりに面しています。そこから北西方向へ約30㎞進むとロッキー・トップという郊外の街に着きます。そう、地名だったのです。「ヴォランティアズ(Volunteers)」とは南北戦争の際、両軍に対して志願兵が多く加わったことに由来しているのだそうです。(宮崎正倫)

 

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PMCで見つけた〈41〉ボビー・トループの「野球につれて行って」

2019年2月26日

ジャズ風のアレンジ、早口のノベルティソングだな

 

野球の松井秀喜さんがメイジャー・リーグのニューヨーク・ヤンキースでプレーするようになった頃、よく試合中継を見るようになった。7回の裏になった時に「セブンス・イニング・ストレッチ」という応援時間があり、観客が総立ちになって歌っていたのが「私を野球に連れてって(原題:Take Me Out to the Ball Game)」だった。アメリカの古い歌のようで、1949年(昭和24)にミュージカル映画が発表されてジーン・ケリー、フランク・シナトラが主演していた。

 

ボビー・トループという名前そのものは余り知られていませんが、スタンダード・ナンバーの「ルート66」の作詞、作曲者で、女優・歌手のジュリー・ロンドンの夫でもあります。PMCでデータ検索をすると、楽曲のタイトルが英語表記であったり、漢字、ひらがな表記が微妙に違っていたりして時間がかかりましたが、トループの盤も含めて4枚がありました。ミュージカル映画の盤は見つけることが出来ませんでした。

 

トループの楽曲は、ジャズ風にアレンジされていて、聞き慣れているものとは一瞬、違うのではないかと思わせます。早口の歌唱で、野球場でファンが合唱するコーラス部分から始まり、お菓子のクラッカージャックやピーナッツは聞き取ることができました。ノベルティソング(日本で言うところのコミックソング)に分類されているそうですが、一見は百聞にしかずではなく“音楽は一聞”に限る、と思わされました。

 

ところで松井さんは将来どうするのでしょう。地元・石川県の出身ということもあって当時は、走っている車にも背番号にちなんだ「55」を“百見”するような状態でしたが、最近では“一見”になっています。出来る事なら、ニューヨーク・ヤンキースの指導者として一軍ベンチに入り、勝利の後、シナトラの「ニューヨーク、ニューヨーク」を聴きたいという、ささやかな夢を持っています。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈40〉トリニ・ロペスの「ボーン・フリー」

2019年2月22日

野生に戻したライオンが育ての親の元へ帰ってきた

 

日本のグループ・サウンド時代のバンドにザ・ライオンズがいた。「すてきなエルザ」という曲を歌っていた。時代の勢いが歌わせているようで、お世辞にも上手と言えるほどではなかった。しかし、しっかりと印象には残っているグループである。何が? と問われればライオンのエルザを連想する、というだけの話ではある。

 

そう、「野生のエルザ」を思い出すからである。実在のライオンと人間、心と心の交わりを描いたノンフィクション作品である。中学生の頃に読んで感動した覚えが微かにある。多感な時代の幻のようなものである。1966年(昭和41)にイギリスで映画化されているが、観ていない。トリニ・ロペスの「ボーン・フリー」はこの映画の主題歌である。

 

物語はアフリカ・ケニアの出来事である。ライオンの両親を射殺した夫婦が、残された3頭の赤ちゃんライオンを引き取り、一番小さかったライオンにエルザという名前を付けた。夫婦はエルザを野生に戻すため狩りを教え込んでサバンナに帰した。3年後、エルザは3頭の子ライオンを連れて二人の前に姿を現す、というものである。

 

映像より読書の方が強く感動すると感じた。この「ボーン・フリー」はFM-N1の音楽サーバーの中にはなかった。それならば、とPMCでデータ検索をしたところ26枚のレコードが見つかり、トリニ・ロペスの楽曲を選んだ。ちなみにエルザは「Elsa」と綴り、英語では「エルサ」と発音する。が、本や映画の吹き替えなどを通してエルザが定着してしまっているので、もう変えられない。感動さえ変わらないから良し、としよう。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。