PMCで見つけた〈11〉ザ・ジェントリーズの「花を贈らないで」
2018年11月2日
同じ誤訳でも格の違いはあるのだろうか?
PMCから、1963年に結成されたアメリカのロックバンド、ザ・ジェントリーズのアルバム「キープ・オン・ダンシング」を借りてきた。アルバム・タイトルの同曲しか聴いたことがないので、他の楽曲はどんなものか知りたくなったからである。いつか使えそうな3,4曲を見つけたが、中に「花を贈らないで」と邦題がつけられたものがあった。
原曲のタイトルを見ると「Don't send me no flowers」とある。直訳すれば「私に花を贈ってちょうだい」だろう。歌の中を見ても邦題のように意訳するには無理がある。まさに正反対である。英語に詳しいパーソナリティのロイ・キヨタさんが第4スタジオ・サンセットから出てくるのを待って聞いてもらった。躊躇もなく「誤訳だよ」。一刀両断だった。
曲タイトルの有名な誤訳としてはジャズのスタンダード・ナンバーとなっているヘレン・メリルの「YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO」がある。邦題は「帰ってくれれば嬉しいわ」である。これでは、女性が待っているところへ男性が帰ってくる、という意味である。本当は男性が待つところへ女性が帰るわけだから、これも正反対の誤訳である。
確かに、PMCのレコードにも誤訳の邦題が記されている。しかし、問題は放送する場合である。誤訳でも著作権上の登録は「帰ってくれれば嬉しいわ」なので、そのように紹介しなければなりません。FM-N1では「ユード・ビー・ソー・ナイス・トゥー・カム・ホーム・トゥー」とカタカナ読みをしている。念のためにキヨタさんに和訳をしてもらったら「私が帰る家にあなたがいる」。練れた日本語が返ってきた。それではザ・ジェントリーズの「花を贈らないで」はどうするか。二つの曲の格が違い過ぎて問題にはならない? (宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈10〉フレッド・アステアの「あなたに夢中」
2018年10月30日
古き良き歌声をいつまでもステップしたい
10月24日の番組「FM-N1ゴールデン・スロート~黄金の喉は歌い継ぐ」(月曜~金曜午前8:00~)で、フレッド・アステアの「あなたに夢中」が流れた。開局23年目を迎えているが、覚束ない記憶をたどると、今は終了してしまった「N1コミュニティ~ムッシュ・マル」の中で1、2回紹介されただけではないだろうか。3カ月前に、PMCからレコードを借り、FM-N1のミュージック・フォルダーに入れたばかりだった。
アステアとは、アメリカのミュージカル映画全盛期の大スターで、タップ・ダンスの名手でもある。初めてスクリーンの中のアステアを見た時の衝撃は今でも忘れない。「あなたに夢中」は1940年の映画「Broadway Melody of 1940」の中で歌われたもので、アルバム「フレッド・アステア・ストーリー」の中に収められていた。
選曲したのは若い女性だが、どうしてこの曲だったのか、聞いてみた。なにしろ、洋楽ファイルの中には現在、総数で27,600曲を超える楽曲が登録されているからである。いわく「番組の趣旨を考え、1960年以前の曲を選ぶようにしている。歌手の経歴を調べて、年代の検討を付けている」。後は聴いてみるしかない。
自分の手で調べたものは身に付いていくはずである。番組名の「ゴ-ルデンスロート」とは1940年代のアメリカ製電気蓄音機「RCAビクター・ウィズ・ザ・ゴールデン・スロート」から採っている。戦後、金沢で最初のレコード・コンサートが開かれた際に用いられた機種である。アステアのミュージカルのように、古き良き楽曲をいつまでも、歌い継いでいきたいものである。
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈9〉ザ・キングストン・トリオの「ジョン・B 号の難破」
2018年10月26日
カリブ海の海賊と戦ったのか? 歌に実話の面影はないが…
今、FM-N1の音楽サーバーを聴き直している。ザ・キングストン・トリオのファイルを開いたところ、あったのは「トム・ドゥリー」と「花はどこへ行った」の2曲だけ。フォークソングは、他の歌手、グループもカバーしているため、放送するのには差し当たり支障はない、と言えるが早速、PMCからレコードを借りてきた。
中に懐かしい1曲が入っていた。「ジョン・B 号の難破」である。歌い出しが「We come on the Sloop John B」で、やけに「Sloop(スループ)」が、昔から耳に残っていた曲ではある。ライナー・ノーツを見て初めて、その意味が帆船のことである、と分かった。帆船と言えば、中国からイギリスまで紅茶を運ぶティークリッパーという快速艇を思い出す。有名なものでは「カティーサーク号」がある。が、ジョン・B号は戦闘用らしい。
もともとは、バハマ諸島の沖合で難破した帆船の悲劇の実話が現地で歌い継がれており、それを収集して楽曲に仕上げたもの、という。バハマ諸島はカリブ海に浮かび、カリブの海賊がハバを利かしていた海である。もしかして、海賊の取り締まりに当たっていた帆船だったのか。しかし採譜はしたものの、歌詞の方は実話とは無縁の内容となっている。
歌詞カードをみると、祖父と私が船に乗り込み、酒をガブ飲みしたり、酔っぱらいが暴れたり、料理人が私の食べ物を海へ投げ込んだり、とイザコザを起こしている。海の男の威厳は微塵も見られない。海の荒くれ男も悪くないが、帆船のイメージを一新するなら10月28日に、富山県射水市の海王丸パークにでも出掛けるのはどうか。“海の貴婦人”と称される海王丸が今年(平成30年)最後の総帆展帆(そうはん・てんぱん)を披露してくれるそうだ。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈8〉ロス・マルチェロスの「アンジェリータ」
2018年10月23日
ノルマンディー上陸作戦の裏口でも物語
声優の田中信夫さんが10月17日に、83歳で亡くなった。永らく忘れていた名前だったが、すぐに思い出されたのがアメリカの俳優ヴィック・モローが演じたサンダース軍曹の顔だった。テレビ・ドラマ「コンバット!」の主役であり、日本でも昭和37年(1962)から放送され、人気を集めていた。中学生のテレビっ子だった私も同級生もファンだった。田中さんはサンダース軍曹の吹き替えを担当しており、声優という仕事があることを知った最初の人物だった。
「コンバット!」は第二次世界大戦のヨーロッパ戦線で、連合国軍がノルマンディーに上陸作戦を決行するところから始まり、フランスを舞台に闘う姿を描いている。ノルマンディー海岸とは、ドーバー海峡を挟んだイギリスの対岸ということは、「PMCで見つけた」〈2〉ヴェラ・リンの「ドーバーの白い崖」の舞台の対岸でもある。ノルマンディー上陸作戦はアメリカ映画「史上最大の作戦」の題材となり、「コンバット!」の日本放映開始と同年の12月、国内でも封切られている。
ノルマンディー上陸作戦の5カ月前、ヨーロッパ戦線の地中海側では、イタリアのローマを攻略するため、同市南方のアンツィオ海岸でも連合国の上陸作戦が展開された。その際、海岸にいた少女アンジェリータの死の実話を基に作られた曲がロス・マルチェロスの「アンジェリータ」です。イタリア語は分かりませんが何とも物悲しい旋律と「アンジェリータ」という歌詞の繰り返しが印象に残る曲です。
「コンバット!」にはユピテル・レコーディング・オーケストラの演奏が、「史上最大の作戦」にはポール・アンカの同名の曲があります。「アンジェリータ」は、これまでも探していたのですが、今年の7月19日にPMCでようやく見つけました。LPのオムニバス盤とシングル盤が1枚ずつありましたが、昭和40年(1965)4月新譜ハイライト盤と記されていました。当時、レコードを買い求め、ジャケットも覚えていました。一時は諦めていたのですが、これもPMCのお陰です。田中さんの訃報を聞く3カ月前の事でしたが、これも何かの縁だったと思えてなりません。(宮崎正倫)
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈7〉トルネイドスの「テルスター」
2018年10月19日
情報は瞬時に地球規模で広がり世界を変えた
4K、8Kという言葉が次第に、茶の間の話題にも上るようになってきた。東京オリンピック、パラリンピック2020を目指した新テレビのサービスで、12月から始まる。現在のハイビジョンより高精細で、より臨場感のある映像が楽しめる次世代型の衛星放送らしい。ただ、電波は空から降ってくるのだが、肝心のアンテナ、受像機の普及はこれから、ということなので、高価格でもあり、慌てずに待つしかないのかもしれない。
テレビが地上のアンテナを離れて、通信放送衛星が登場したのが昭和37年(1962)のことで、パリからアメリカへのテレビ中継に成功した。なにしろ、パリで今起きていることがアメリカの家庭にまで、時間をおかずに直接届くわけだから脅威的な変化であった。4K、8Kといっても、この延長線上にあるわけだから一つの進化でしかなく、関係者以外は比較的冷静のように思われます。
世界初の通信放送衛星の名前を「テルスター」と呼びました。成功を記念してイギリスのバンド・ザ・トルネイドス(ザ・トーネードーズ)が発表したのがインストゥルメンタルの「テルスター」という曲で、全米でもNo.1を獲得する大ヒットになりました。PMCには残念ながらトルネイドスのレコードは1枚もなく、見つけることは出来ませんでしたが、ザ・ベンチャーズやザ・シャドウズなどのインストゥルメンタル・バンドを始め、ビッグ・バンドのデューク・エリントンなど43枚が登録されています。
日本における衛星放送の実験は翌年の昭和38年(1963)に行われましたが、その時に飛び込んできたのがケネディ米大統領の暗殺事件のニュースでした。まさに衛星放送の面目躍如というべきか、世紀の大ニュースが宇宙を飛んで来たのです。4K、8Kといいますが、技術は伸びたもののニュースの内容はどれだけの進化を見せたのでしょうか。それとも、エンターテメントの世界に席巻されていくのでしょうか。(宮崎正倫)
(注)タイトルで「ザ・トルネイドス」としたのはFM-N1のファイルに付けられていた名前でした。色々な読み方があるようですが一般的には「ザ・トーネードーズ」または「トーネイドーズ」が使われているようです。PMCには「ザ・トーネイドース」で「テルスター」は1枚あり、「TORNADOS」名義で2枚ありました。
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈6〉ザ・サーチャーズの「マジック・ポーション」
2018年10月16日
二番煎じの特効薬No.309があった
前回のザ・クローヴァーズ「ラブ・ポーションNo.9」でも触れましたが、それまではザ・サーチャーズの「恋の特効薬(邦題)」がオリジナルだと思っていました。オリジナルのドゥ・ワップを、錬金術を使ってイギリス・ロックのマージー・ビートに変えたようでもありました。そこで改めて、PMCからサーチャーズのレコードを借りてきました。その中に「サウンズ・ライク・サーチャーズ」という12曲入りのアルバムがありました。昭和40年(1965)に制作されたものです。
歌詞カードを持たず、何気なく聴いているとA面3曲目に「マジック・ポーション」がありました。英語が聞き取れる訳ではありませんが、「マジック・ポーション・ナンバー・スリー・オー・ナイン」だけが耳に残りました。原題は「Magic Potion」でしたが、急いで歌詞カードを手にすると、中には「ラブ・ポーションNo.9」と同じく「マジック・ポーションNo.309」と番号が振られていたのです。クローヴァーズの曲をカバーしたのが1964年ですから翌年に、続編として作られています。
「No.9」ではモテない男が、だれかれ構わず恋に落ちたくて、ジプシーの占い女に薬を調合してもらい、自分で飲んだところ大失敗をしてしまう、という内容でした。「No.309」では、好きな彼女に振り向いてもらいたくて、やはりジプシーに、魔法の薬が欲しいと懇願するお話です。ただ、前回の失敗に懲りたのか、歌詞はお願いをする所までで終り、作ってもらえたのか、試したのか、効能はどうであったかまでは歌われていません。
結果がないだけ楽曲としてはインパクトに欠けますが、ヒットしたのかどうかは分かりません。何も知らなければメロディーも心地よく、サラリと聴けるマージー・ビートです。ただ、ドジョウの上には必ずしも柳の木が生えていると限らない、という例でしょうか。恋した彼女に振り向いてもらうためには新鮮な気持ちが必要でしょう。薬だけに「二番煎じ」は利かなかったのです。
◇KIT・PMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、24万5千枚を所蔵している。
PMCで見つけた〈5〉ザ・クローヴァーズの「ラブ・ポーションNo.9」
2018年10月12日
ジプシー女のマダム・ルーが作った媚薬
「ラブ・ポーションNo.9」という曲を聴いたのは中学生の頃だったか。てっきりイギリスの4人組バンドであるザ・サーチャーズのオリジナル曲だと思っていた。リヴァプール出身というからザ・ビートルズと同じで、マージー・ビートのお仲間である。その頃はビートルズの影響もあってかザ・ハーマンズ・ハミッツ、クリフ・リチャードなどユニオンジャック印がお気に入りだった。
邦題が「恋の特効薬」で、多感な青春期には、本当にそんな薬があるのだろうか、と興味津々だった。ところが、金沢工大のポピュラー・ミュージック・コレクション(PMC)で、アメリカのドゥ・ワップ・グループであるザ・クローヴァーズの「Love Potion No.9」という輸入盤のアルバムを見つけたのである。ライナー・ノーツにはクローヴァーズのオリジナルであると書かれていた。
歌の中身は、女の子と全く縁がない男が、ジプシー占いのマダム・ルーに悩みを打ち明けた。するとマダムは、小さな瓶に入った惚れ薬No.9を分けてくれた。男は鼻をつまんで薬を一口、喉に流し込んだ。あら~大変、薬が効いてきた。男は昼と言わず夜と言わず、目に見えるものに所構わずキスをし始めた。挙句の果てに、交差点に居たお巡りさんにまでキスをして、怒ったお巡りさんに瓶を割られてしまいました。
世間には「百年の恋も冷める」という言葉もあるが、あの憧れた「恋の特効薬」がこんな結末を迎えるとは… オリジナル曲かカバー曲で薬の効能は変わるものでもあるまいが、最初に曲を聴いた頃から、たった50年かそこらで熱も冷めるというもの。ともかく、惚れ薬を自分で飲んでしまっては元も子もない、という話のようだ。惚れ薬の瓶に用法は書いてなかったのだろうか?(宮崎正倫)
PMCで見つけた〈4〉コニー・スミスの「悲しきトランジスター・ラジオ」
2018年10月9日
定番の“悲しき”だが、こんな青春を飾る曲が残っていた
コニー・スミスはアメリカのカントリー歌手である。FM-N1では、あまり聴いた覚えがない女性である。歌声は明るく、技巧的に歌うというより、真っ直ぐに耳へ飛び込んでくる。彼女に出会えて良かった、というのが第一印象である。
邦題は「悲しきトランジスター・ラジオ」(原題はTiny Blue Transistor Radio)だが、これまでのオールディーズの定番ともいえる“悲しき”とか“哀しみの”とかが邦題の頭についた曲の中でも初めて聴いた楽曲である。ちなみに、オールディーズを中心にしたリクエスト番組「ブロークン・タイムマシン」のデータを調べると、これまで、35曲にお応えしている。
歌詞の方は「私と彼のためにあった小さなトランジスター・ラジオも、彼がいなくなって悲しきトランジスター・ラジオになってしまった」という青春のほろ苦さをかみしめる内容となっている。それもレコードのB面で、A面は「その日を待って」という曲です。どちらかというとB面に愛着を覚える私にとっては、堪りませんでした。
まだまだ、金沢工大のポピュラー・ミュージック・コレクション(PMC)には、まだまだ“哀しみ”が隠れているかもしれません。また出遭える時がくるのでしょう。それにしても今回は、カントリーが流れる回数が少な過ぎるのが原因なので、反省をしているところです。(宮崎正倫)
PMCで見つけた〈3〉ザ・ロネッツの「恋の雨音」
2018年10月6日
雷鳴が告げる理想の恋人の出現
ザ・ロネッツと言えば、返ってくる答えは「ビー・マイ・ベイビー」というのが通り相場である。彼女らの最大のヒット曲であるから当然の事である。FM-N1の番組に「ブロークン・タイムマイン」という長寿番組がある。平成10年(1998)4月が放送開始なので20年と6カ月が経ちました。オールディーズのリクエスト番組が基本姿勢なので、金沢工大のPMC(ポピュラー・ミュージック・コレクション)が頼みの綱でした。
同番組のリクエスト数でみれば、10月7日現在で、「ビー・マイ・ベイビー」が最多の31回を数えます。ちなみに第2は、パーソナリティのロイ・キヨタさんがお気に入りのプロコル・ハルムの「青い影」が28回となっています。リクエスターの皆さんの忖度(そんたく)もあるのかもしれません。したがって、FM-N1のザ・ロネッツの音楽ファイルには「ビー・マイ・ベイビー」しかないという状態が続いていました。
そこで、PMCのデータ・ベースを検索すると、シングル、アルバム、オムニバス盤合わせて21枚のレコードがありました。盤は違っても同じ曲がダブっているため、そう多いという訳ではありません。その中に「恋の雨音(原題・Walkin' In The Rain)」がありました。韻を踏んでいますが、オールディーズにありがちな邦題の付け方の様にも思えます。ザ・ウォーカー・ブラザーズもカバーしています。
曲の出だしが、あのザ・カスケーズの「悲しき雨音」に負けず劣らず、雷鳴からです。歌の内容は、私には、男の子の理想像があるけれど現実には、まだ彼氏がいない。雨の中を歩けば濡れるように、いつか自然と彼に巡り合えるはず。出逢いを星に祈ろう、というものらしい(英語が不得手で断定できない)。雷鳴と言えば、激しく大地を揺るがすような金沢の冬空を想像してしまうが、そうか、「恋の雨音」は甘い胸の疼きの響きだったのか。(宮崎正倫)
PMCで見つけた〈2〉ヴェラ・リンの「ドーバーの白い壁」
2018年10月4日
ドーバー海峡を越えて飛来するもの
歌姫と呼ばれる方は洋の東西を問わず、時代を問わず、分野を問わず多くいる。それこそ聴衆が自分の人生の襞(ひだ)深くにまで染み込んだ曲を歌ってくれた人が、その人にとっての歌姫なのだろう。金沢工大のPMC(ポピュラー・ミュージック・コレクション)は、全て寄贈によるレコード・コレクションなので、レコード盤そのものというより寄贈者の人生の喜怒哀楽を保管している、と言っても過言ではないのである。
今日(10月4日木曜日)午前8時からの番組「黄金の喉は歌い継ぐ~FM-N1ゴールデン・スロート」で、ヴェラ・リンの「ドーバーの白い壁」が流れました。ヴェラ・リンとはイギリス・ロンドン生まれの歌手で、第2次世界大戦中にラジオ放送を通じて“イギリス軍兵士の恋人”と呼ばれ、兵士はもとより国民の全てに親しまれていた、ということです。
題名のドーバーとは、イギリスとフランスの間に横たわるドーバー海峡のことで、海岸線に切り立った白い崖が代表的な風景でしょうか。大戦中はイギリスに対して海峡越しに、ドイツ軍による空襲、ロケット攻撃が激しさを極め、英国民は絶望の淵に立たされていたのです。それを支えたのが彼女の歌声だった、といいます。
歌詞は「ドーバーの白い壁を越えて、幸せの青い鳥が飛んでくる…」というものですが、美しいバラードがイギリス国民の心に響いたのでしょう。この曲はアルバム「ヴェラ・リン イギリス第八軍のリリー・マルレーン」に収められています。1917年生まれの彼女は現在101歳。現役です。(宮崎正倫)