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シンフォニックジャズ全国大会 野々市明倫高校吹奏楽部 出場 

2019年2月12日

2月11日(月・祝) 東京文京シビックホールにて

第7回シンフォニックジャズ&ポップスコンテスト全国大会が開かれました。

野々市明倫高校吹奏楽部が今年も出場しました。

結果は・・・(ドラムロォール!)

 

銀賞でした。

 

目標の金賞には届かなかったけど、立派です。

全国大会ですもんね。

出場団体はみんなとても上手で、吹奏楽コンクールのような厳しい雰囲気はなく、手拍子OKの楽しい大会でした。

 

野々市明倫高校吹奏楽部の皆さん、銀賞受賞おめでとうございます!!

 

(なかにしみき)

PMCで見つけた〈37〉ザ・ブラウンズの「谷間に三つの鐘が鳴る」

人生の三大節目に、山暮しの仲間達の絆が響き渡る

 

金沢工大のPMCが所蔵しているザ・ブラウンズの「谷間に三つの鐘が鳴る」を聴いてみた。男性1人と女性2人からなるコーラス・トリオです。アルバム名は「RCAカントリー&ウエスタン100」という特集ものです。RCAというのは1901年(明治34)設立された「ビクタートーキングマシン」という蓄音機を製造する会社だった。戦後の昭和24年、金沢で最初に開かれたレコード・コンサートで使用された電気蓄音機が「RCAビクター・ウィズ・ザ・ゴールデン・スロート」だった。

 

1929年(昭和4年)にRCAビクター社となって、1949年(昭和24)に初めてEP盤を発売している。本社はニューヨークですが、テネシー州ナッシュビルで、カントリー・ミュージックのレコードを録音して、カントリーの隆盛期を築いた。ザ・ブラウンズは、カントリーのグループでしたが、伝統的なカントリー(ヒルビリー・ミュージック)にポップス調を取り入れたナッシュビル・ポップスの代表格となっていきました。

 

「谷間に三つの鐘が鳴る」は1959年(昭和34)というから、今上天皇が美智子皇后と結婚された年です。元々はエディット・ピアフが歌っていたシャンソンでしたが、英語詞が付けられてザ・ブラウンズに回ってきたのです。ブラウンズ・バージョンがアメリカのランキング1位を獲得しました。原題は「Three Bells」という味も素っ気もないものですが、邦題のほうが日本人の情感に訴えます。

 

歌の内容は、ジミー・ブラウンの一生の物語です。谷間の村で誕生した時に鐘が鳴り響きました。そして結婚の時も、生涯を閉じた時にも。この谷間とは、PMCで見つけた〈18〉で紹介したダニー・デイビスとナッシュビル・ブラスの「マウンテン・デュー」の様に、ヨーロッパからの移民たちが住み着いたアパラチア山脈ではないかと思います。人生の三大節目に祝福、歓喜、弔意の鐘が谷から谷へと伝わります。山あいの暮らししか知らない人達ですが、仲間とのつながりを誇りとする人々のような気がします。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈36〉ハンク・スノウの「RAIL ROAD MAN」

2019年2月8日

2分弱の曲に栄枯盛衰を感じさせる「パン・アメリカン」

 

カナダ生まれのカントリー歌手、ハンク・スノウのアルバム「RAIL ROAD MAN」をPMCで見つけた。タイトルそのものが鉄道員なのだが、収録されている12曲全てが列車関係の歌です。今で言う“鉄道ヲタク”なのです。乗り鉄、撮り鉄などいろいろな形態があるということですが、彼の場合は“ウタ鉄”といったところだろう。そう言えば、1950年に初の大ヒットとなった曲が「ムーヴィン・オン(原題:I’m Moving On)」で、列車に乗ってやってくる内容だった。

 

12曲の中にはグレン・ミラー楽団のスタンダードである「チャタヌガ・チュー・チュー」も当然のように含まれている。チャタヌガとはテネシー州南東部の都市で、チュー・チューとは幼児語で汽車ポッポを意味する。1880年、北部のオハイオ州シンシナティからチャタヌガまで運行を始めた「シンシナティ・サザン鉄道」の旅客列車の愛称を曲名にしたものです。

 

初めて聴く曲で、気になるものもありました。「パン・アメリカン」です。こちらの方はシンシナティから、メキシコ湾に面したルイジアナ州ニューオリンズまでの路線で、当時の特急弾丸列車が運行されていました。150秒余りの曲ですが、通過駅のあるルイビル(ケンタッキー州)、ナッシュビル(テネシー州)、モンゴメリー(アラバマ州)を経てニューオリンズに到着します。ギターの弾き出しは、軽くてテンポよく、快適な鉄道の旅を予感させます。

 

ところで、ニューオリンズと五大湖周辺を結ぶ交通網と言えば昔は、ミシシッピー川を行き交う外輪船で、水上交通でした。それが陸上の大量輸送時代を迎えて「パン・アメリカン」鉄道路線に移って行ったのでしょう。まさにパンアメリカン(汎米)が新時代を象徴していたのです。そして、航空機を運行するパン・アメリカン航空が登場するのです。1927年に設立された同社も1991年に、経営悪化によって消滅しました。栄枯盛衰を感じさせる曲なのかもしれません。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈35〉マレーネ・デートリッヒの「リリー・マルレーン」

2019年2月5日

終戦後15年、初めてベルリンの舞台に立った緊張感

 

マレーネ・ディートリッヒと言えば「リリー・マルレーン」、「リリー・マルレーン」と言えばディートリッヒと言うように、この両者は切っても切れぬ仲です。ディートリッヒは戦前のドイツで活躍した女優で、映画「嘆きの天使」で成功した後、アメリカに渡りました。この間、第二次世界大戦が起こり、ドイツの枢軸国とアメリカの連合国側が戦端を開きました。ディートリッヒは、祖国と敵対するにもかかわらず、連合国兵士の慰問のためアフリカ・欧州戦線を回りました。

 

「リリー・マルレーン」はドイツで作られた楽曲でしたが、敵味方双方で歌われ、両軍兵士達の心を慰めた、と言います。PMCでディートリッヒを検索すると、26件ありましたが、必ずと言っていい程、この曲が収録されています。これは、昭和45年(1970)に開催された大阪万博にディートリッヒが公演し、日本でも大ブームが起きたためと言われています。同曲を入れておかなければレコードが売れなかったのかもしれません。

 

これらの中に、「マレーネとの再会/ディートリッヒ・ベルリン・コンサート1960」というタイトルのアルバムがありました。ライナー・ノーツによると、慰問で励ました連合国の兵士達は祖国の若者に銃口を向けていたことになるので、なかなか祖国の土を踏むことが出来なかった、と記されています。戦後15年を経て、初めて故国でのコンサート実況録音盤です。「リリー・マルレーン」は普通、ディートリッヒの語りや、前奏部分に消灯ラッパの音が入ることが多いのですが、この盤では、いきなり歌が始まります。熟慮した上でしょうが特別な感情が込められているようです。

 

「リリー・マルレーン」はドイツの歌だと言いましたが、連合国側の慰問では英語で歌われました。このブログ「PMCで見つけた」の2回目、「ドーバーの白い壁」で紹介したヴェラ・リンはイギリス軍の歌姫としても知られ、彼女もアフリカ戦線の慰問で「リリー・マルレーン」を歌ったといいます。それでは、最初に歌ったのは誰でしょうか。それはドイツの女優・歌手であったララ・アンデルセンです。1939年にレコードが発売されました。PMCにはアルバム「オリジナル・リリー・マルレーン」の中に1曲だけがありました。モノラルでした。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

受験シーズンですね・・

2019年2月1日

2月になりました。

もう受験シーズンに突入したんですね。

今日から入試っていう学校多いようです~

今日は朝から雪で、真っ白。。

大雪までにはならなかったので、一安心。

金沢工業大学も今日から入試がはじまりました。

受験生のみんな、全力を出し切れますように(>_<)

 

受験勉強のお供には、ラジオFM-N1を聴いてくださいね。

76.3MHzですよ!念のため・・・

 

(なかにしみき)

 

PMCで見つけた〈34〉ザ・ブラザーズ・フォアの「遥かなるアラモ」

180年経った今も越境、入植民の問題は繰り返す

 

ザ・ブラザーズ・フォアが歌った「遥かなるアラモ」は1960年(昭和35)のアメリカ映画「アラモ」の主題歌です。この映画は、メキシコからのテキサス独立戦争(1863223日~36日)13日間をテーマにした内容です。独立を目指すアメリカ側の軍人や義勇兵250人がアラモ砦(とりで)に立て籠もったのに対し、メキシコ軍1600人が攻め寄せて、最後には籠城軍を全滅させた、という実話が基になっています。

 

「遥かなるアラモ」の原題は「Green Leaves Of Summer」で、のどかな曲調は荒々しい戦いとは落差があります。歌詞は、ナマズが川面から跳びはね、松の木が目にまぶしい自然豊かな田舎の風景、恋人や夫婦の暮らしが歌われて、題名の通り、夏の青葉が若者に、故郷へ帰れと呼びかけています。

 

映画の中では、主役のジョン・ウェインが扮する義勇兵のデイビー・クロケットが、最後の戦いの前夜となる場面で、「何を考えている」と問われ、「思い出しているだけさ」と答える時にバックで流されているという。戦況から既に死を覚悟しながら、懐かしい故郷に思いを馳せていることを表しています。身を挺して国のために闘う愛国心を高揚させるような「アラモを忘れるな」という格言が残されているようです。

 

しかし、メキシコ側からみれば、勝手に国境を越えて入植してきたアメリカ側がテキサスを独立させようと画策しているように見え、領土を守るためにアラモ砦を鎮圧した正義の戦いになるでしょう。結局、現在はテキサス州としてアメリカに属する結果となっています。ところが現アメリカ大統領のトランプ氏は、メキシコ側からの不法移民を取り締まるために“壁”の建設に精力を傾けています。アラモ砦の攻防から約180年経った今も、問題は繰り返しているのでしょうか。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈33〉バディ・ホリーの「ペギー・スー」

2019年1月29日

青春時代のロックンロールが始まった1

 

182㎝の長身に、眼鏡をかけてスーツ姿。こんな男がロックロールの創始者の一人に数えられるバディ・ホリーです。活動期間は1957年からわずか2年程でしたが、ザ・ビートルズなど後に続くバンドに大きな影響を与えました。ギター2本にベース1本、ドラムスを加えた4人編成で演奏を始めたのもバディ・ホリー&ザ・クリケッツでした。当時は、ロックンロールといえどもビッグバンド・スタイルでしたが、お金のなかった彼らが巡業中に、4人バンドで演奏したのです。

 

「ペギー・スー」という曲は最初、ホリーの姪の名前から「シンディ・ルウ」というタイトルでしたが後に、クリケッツのドラマーだったジェリー・アリソンの妻の名前をとって「ペギー・スー」に改題されました。歌の内容は「お前がペギー・スーのことを知っているなら 、彼女がいなけりゃ僕がどんなに落ち込むか分かるだろう。本当にペギー・スーが好きなんだ」というもの。ドラムの軽快なビートで始まり、アコースティック全盛の時代に、エレキギターを抱えて歌う青春100%に若者はひかれた。

 

19592月、ホリーは飛行機でアイオワ州からミネソタ州へ移動中、吹雪のために墜落して、同乗していた2人のロックンローラーと共に死亡した。ザ・クリケッツと活動を再開する直前だったという。ジョージ・ルーカス監督の映画「アメリカン・グラフティ」の中には「バディ・ホリーが死んでロックンロールは終った」という台詞があるという。しかし、ロックンロールはイギリスのバンドに生き続け、やがてアメリカに上陸するのです。「バス・ストップ」の曲で有名なザ・ホリーズは彼から名前をとったものです。

 

PMCから借りてきたアルバム「栄光のバディ・ホリー」には「ペギー・スー」の他、デビュー曲の「ザットル・ビー・ベイビー」、ポール・アンカが書き贈り、実質上の遺作となった「イット・ダズント・マター・エニモア」が収録されている。また、ホリーが事前にデモ録音していた曲に、彼の死後、ザ・クリケッツがオーバー・ダビングして完成させた「ペギー・スーの結婚」もある。本当に青春時代のロックンロールの血が騒ぐ一枚だった。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈32〉ザ・シーカーズの「愛の喜び」

2019年1月25日

君をすきになった私は愚か者なのだ

 

ザ・シーカーズをご存知でしょうか? 1962年(昭和37)にオーストラリアで結成された男性3人、女性1人のフォーク・グループです。翌年にイギリスに渡って活躍しました。「ジョージー・ガール」が代表曲です。解散した後、メンバーを募ってザ・ニューシーカーズとして「愛するハーモニー」をヒットさせていますが、基本的には別のグループでしょう。PMCからザ・シーカーズのレコード・アルバム「ベスト・フォーク・アルバム」を借りてきました。

 

聴いてみると、期待以上の13曲でした。中でも「愛の喜び」という曲が気になりました。どこかで聴いたような、という気がしてライナー・ノーツを取り出すとエルビス・プレスリーが1961年に発売したスロー・バラード「好きにならずにいられない」でした。それも、カヴァー曲ではなく、1819世紀にかけて活躍したジャン・ポール・マルティーニが作曲したフランス生まれの原曲でした。プレスリーよりもスロー・テンポで歌っています。

 

FM-N1のパーソナリティ・ロイ・キヨタさんによると、「好きにならずにいられない」の歌詞は「賢者は言う 愚か者はあわてて行動に走ると でも 君を好きにならずにはいられない」で始まるという。君を好きになった私は愚か者なのである。まさに原題の「Can’t Help Falling Love」なのである。理性を忘れて、君をすきになることは罪なことなのか、とも歌っている。

 

「愛の喜び」の原詩は、「愛の喜びは一瞬しか続かない。別れの哀しみは生涯続く。私はスルヴィのために全てを捨てたが、彼女は他の男の元へ走った」という内容です。これは、恋に破れた男の悲しみを歌っています。プレスリーの曲とは違う気もしますが、シルヴィの心も見えず、我を忘れて恋に溺れた、という意味ではこちらも愚か者なのだろう。というか、愚か者にならなければ出来ないのが恋なのだろう。賢者に戻った時に、満足するか後悔するかは別の話である。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈31〉ナンシー・シナトラの「イチゴの片想い」

2019年1月22日

邦題で歌の甘さを演出、騙されたっていい中学生の頃

 

ナンシー・シナトラと言えばフランク・シナトラの娘というのは誰でも知っている。可愛いイメージで売り出し、後に「にくい貴方」で大人の女性シンガーに大変身する前の曲である。「イチゴの片想い」は原題が「Tonight You Belong To Me」で、訳せば「今宵、あなたは私のもの」という辺りだろうか。女の子の甘酸っぱい片想いとは、様相を異にしている。

 

ただ、鼻にかかったような声が甘酸っぱいのは間違いない。「私は、あなたが他の誰のものでもないのは分かっている。そう今夜、私のものになるのよ。銀色の月の光を浴びて」と積極的なのである。日本で初めて発売された彼女のアルバム「アイ・ラブ・ナンシー・シナトラ」にも収録されているが、このアルバムはフルーツの香りでむせ返るほどなのである。

 

10曲収められているが、「イチゴ」の他には、彼女の初の大ヒットとなった「レモンのキッス(Like I Do)」「リンゴのためいき(Think Of Me)」「フルーツ・カラーのお月さま(I See The Moon)」とA面、B面に2曲ずつ配されている。邦題は付いているが、どの曲も原題や歌詞にはフルーツの香りすらしないのである。

 

確か「イチゴの片想い」を聴いたのは中学生の頃だった。ラジオから聴くだけで、もちろん英語の歌詞も分からない。タイトルだけで思春期の血が燃え立っていたのかも知れない。しかし、よく考えれば片想いとは違うが、歌詞の内容の甘さを言い当てている。原題の英語を聞いたとしてもこんなにヒットすることはなかったかも… 邦題を付けた人の力量に感服しながら、よくぞ騙してくれた、と感謝したい。(宮崎正倫)

 

 ◇KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。

PMCで見つけた〈30〉ジェリー・ウォレスの「マンダム~男の世界」

2019年1月18日

男の世界が一転、女の世界も取り込む先見の明

 

「お洒落」という言葉とは無縁の世界で過ごし、古希に辿り着こうとしている。一度だけ整髪料に手を出したことがある。高校生になり、丸刈りから長髪に変わった頃であるが、面倒くさくて直ぐに止めた。資生堂の「MG5」というブランドだったと思う。しばらく後に、アメリカの俳優であるチャールズ・ブロンソンをCMに起用した「マンダム」が売り出された。製品よりもブロンソンによって強烈な衝撃を与えられた。

 

CM曲はジェリー・ウォレスが歌う「マンダム~男の世界(原題・Lovers Of The World)」だった。この曲は日本だけのヒット曲であり、ましてや歌手には興味がなかった。最近になって、ウォレスがカントリー歌手であることを知った。PMCで検索してみると、「男の世界」のシングル盤の他に2枚のLP盤が見つかった。2分足らずの曲だが「サムシング・スペシャル」などはいい感じだった。

 

FM-N1が開局した後の2000年前後だったろうか、ある番組で「マンダム」を取り上げていた。およそ30年ぶりに聴いたもので、懐かしさに浸っていると、やらかしてくれました。パーソナリティの一人が「ン(運)」を手放してしまったのか、「マダム」と曲紹介をしてしまいました。相方が「それじゃ女の世界になってしまうよ」と突っ込みを入れていた。国防における流行り言葉で言えば「cross domain(多次元横断)」である。

 

Webで調べると、「mandom(マンダム)」とは元々「Man Domain(男の領域)」という意味だったらしいが昭和55年(1984)、女性化粧品事業へも参入するため、マンダムの意味を「Human & Freedom」に変更していたらしい。化粧品会社に先見の明があったお陰で、パーソナリティの言い間違いの傷も少しは和らいでいるかもしれない。(宮崎正倫)

 

KITPMCとは:金沢工業大学がライブラリー・センターに設置しているレコード・ライブラリー「ポピュラー・ミュージック・コレクション」の頭文字をとった略称。全て寄贈されたレコードで構成され、245千枚を所蔵している。